やらされた“勉強”には限界がくる、自分の選択で自分を幸せに
2023年度も終わりを迎えます。来年度に向けてすでに準備を始めた方、本年度をこれから振り返る方、様々かと思います。新渡戸文化小学校でも、3月9日に卒業式、3月18日に修了式を無事終えることができました。そんな年度末。改めて大人が子どもと向き合うきっかけになればと、今回は花まるグループ代表の高濱正伸さんにインタビューしました。
高濱さんは、新渡戸文化学園の教育活動にアドバイスをくださるNITOBE FUTURE ADVISERSのお一人。花まる学習会の前身、花まる勉強会を開始してから約30年。民間の学習施設として、日本の公教育の一部を担ってきた方と言えます。
新渡戸文化小学校公式noteの目的は、新渡戸文化小学校が取り組んでいることを紹介するのみに留まりません。広く「公教育を考える」ことをテーマにしています。
今、日本の子どもたちの学習環境に足りないものは何か、今後日本の教育環境はどうあるべきか。年度切り替えのこのタイミングに高濱さんと一緒に考えていきたいと思います。
ー「メシが食える大人になろう」「目指すのは、モテる人」「生きることは『遊び』」。ともすると“勉強”とはかけ離れたように思われることを常におっしゃっています。改めて高濱さんの教育哲学を教えてください。
30年間この業界から社会を見てきました。こうした思想が、いよいよもって、より大事になってきたという思いを強くしています。
「何かができる、できない」とか「何かを知っている、知らない」ということ以上に、子どもには大事にしてほしいものがあります。それは、何かに没頭した経験、それを通じて成功や失敗を味わうこと、それに裏打ちされた豊かな思考力や発想力です。
これらはすべて、最近もてはやされている「非認知能力」や「GRIT*」と通じている話です。私はこうしたことを、「メシを食える大人」「モテる人」と平易に言ってきたに過ぎません。幼児期から学童期までは、こういう力こそしっかり身に付けて欲しい。
漢字や計算といった基礎力はもちろん大事です。でも、これは没頭によって得られた人間力があればこそ、やり抜くことができる。それらの力があれば、「やるものはやるんだよ」と話すと、子どもはしっかり取り組みます。その順番を間違えて、偏差値や順位といった「外からの評価」を押しつけることから始めるのが、すべての元凶です。
ー高濱さんがおっしゃる人間像に近づくために、どのようなことが必要でしょうか。
自分がやりたいという決定を、小さくてもよいからしていくことです。主体性を奪われている状態、親やそのほかの誰かからの評価のために生きてる状態では、健やかな心は育ちません。
もちろん親に褒められることは嬉しい。でも、それだけじゃないんですよね。良い人生を歩んでいる人は、みんな自分で決めている。なんでもいい。勉強じゃなくてもスポーツでもなんでもいいのです。
「テニス頑張るわ」「テニスじゃ食えないよ」「いや、いい。とりあえず今はやりたいから頑張りたい」「そうなのね、じゃあ、頑張れ!」って、この会話です。こんな会話を親や大人としながらも、自分で決めていく経験を通じて、心の健やかさは保たれていく。
これが、偏差値で“勝利”した親だと、なかなか譲らない場合が少なくない。「あなたの気持ちは分かるけどね、テニスじゃ食べられないし、××中学にいくチャンスがあるんだから、頑張りなさい。パパだってやってきたし、できるわよ。パパみたいになるには、勉強頑張らなきゃ」と。そして、結果として合格はしたけれど、その後の中学生活がまったく楽しくなかったというようなことが起きます。
ー「遊び」の大切さについても、常におっしゃっていますね。
まず、子どもたちの放課後をもっと解放してあげたい。学校が終わった後、自由に遊んでいる子どもって今、どれくらいいるでしょうか。習い事をしたり、塾に行ったり、予定が詰まっている子どもが多いのではないでしょうか。夏休みや長期の休みも同じ状態です。遊ぶにも「サマースクール」などとタイトルが付き、お金がかかってしまう。
こうした課題については、公の機関ができることがあるんじゃないかと思っています。1つは、学校の開放。放課後に外遊びさせようとしても、例えば東京の公園は、ボールだめ、騒音だめ、と禁止事項だらけです。公園の体を成していないですし、「何をやる場所なんだっけ?」という感じでしょう。一方、学校なら、グラウンドもあって、体育館もあって、ハードウエアとしてものすごく守られていますよね。そうした場所を開放して、自由に遊ばせてあげたらいいと思います。
とにかく子どもは、自由に遊ぶことで、一番伸びるんです。「やっちゃだめ」をどれくらい大人が封印できるか、これが大事ですね。
もう1つは国の施策として、「長野に40日強制留学」というような計画を立てて、国のお金で家以外の場所に飛び出させる。親も楽だし、子どもにとっても最高ですよ。
親と離れる時間に、別の大人や仲間と「でっかい話」をすることはとても大事です。のちの人生に大きく影響を与えます。
4年生以降くらいでよいと思います。真面目に人生を語る時間を設ける。「なんで働かないといけないのか」「学校に行く必要があるのか」「結婚ってするべきなのか」。こういう話って、意外と考える時間や機会は大人でもないですよね。でも、問いかけると、子どもなりに、しっかり話しますよ。
自分がどういう人生を送りたいのかということに、真剣に向き合う時間になるはずです。そうした話の中から、「やっぱり仕事って大事だから、勉強もそこそこやっておかないとなあ」なんて、自分の中に小さな種が芽生えたりすることもたくさんあります。
ー過熱する小学校受験や中学受験の状況を、どうご覧になっていますか。
十把一絡げに「受験がだめ」とはもちろん言えません。「受験せずに、公立へどうぞ」とは簡単に言えないほど、公立は公立で、課題が山積しています。
塾にしろ、受験にしろ、小学校の間は親がある程度方向付けしなくてはいけない場面も少なくないかもしれません。親が主導権を握って始めることが多少あっても問題ないと思います。
そのあとが問題です。始めてみて、子どもがやりたくないと言ったり、辛そうだったりしたときに、「親が」やめられなくなっている状態。こうなると、深刻です。問題は親なのです。始めたあとに、やめることができない。子どもに決定権を渡してあげられない。なんでも親が決めたがる。辛そうにしている子どもが、目に入らない。この状態でずっと強制し続ける親です。
一部の層を中心に“課金ゲーム”になっていることも事実です。塾に行って、さらに家庭教師を付けて、お金のある人が勝っていく世界。アジア圏の海外勢も加わって、過熱しています。
受験のことだけではなく、子どもには「決め癖」をつけさせるのが大事だと思っています。私のところに来る親で、こんな方がいらっしゃいます。私と母親と子どもで面談していて、例えば、「君はどんなことをやっているときが楽しい?」と聞くと、母親がいの一番に「サッカーだよね、ね?サッカーよね?」と。さらに、「将来はどんなことやってみたいの?」と聞いても、「医者だよね、医者。だから、勉強頑張るんだよね?ね?」と。笑い話と思われるかもしれないんですけど、この30年間でイヤというほど見てきた、嘘のような本当の話です。
塾に行って、受験して、とにかく合格すればいいという考えで、叩いて叩いてやらせる。そうすると、特に中学受験は、なんとか合格できちゃうのです。でも、問題はそのあとなのです。もう勉強はしたくないと言い始める。まだ13歳ですよ。人生はその後何十年と続くわけです。大学受験もあるわけです。「やらされている」と思ってやった勉強には、限界が来る。その手の“勉強”は、結果、いつか伸びなくなるのです。文字通り、ゴムが伸びきった状態になってしまうわけです。
私は中学受験も高校受験も基本は同じだと思っています。やる時には真剣に取り組んだ方がいい。受験自体が、自分自身を鍛えるバロメーターになることもある。でも、繰り返しですが、これらは全部、心の健康や圧倒的な経験、豊かな発想力、そうしたものがベースにあってのことです。心の健やかさを失って突き進む受験は、「アウト」ということです。
何が正解か分からない時代です。だからこそ、自分で自分のことを決めることがとても大事。自分で選んだ選択肢で、自分自身を幸せにしていくことしかできないのです。
ー公立の学校も旧態依然としたままで、問題は山積みです。受験を選ぶのも、選ばないのも、どちらも茨の道だと感じます。
公立の状況は、基本的には悪化していると感じています。まず、不登校の子どもが、明らかに増えている。とにかく子どもが生き生きしているかどうかに焦点を当てればいいのに、何かを削ったり、加えたり、制度や仕組みを触るだけで、当事者である子どもを見た改革が一切行われていない。
今、30万人近くの不登校児がいると言われていますが、ここには行き渋りのような子どもや、保健室登校しているような子は入っていません。そうした子どもを入れたら、当然もっと数は増えるはずです。
公立学校のてこ入れは簡単ではありません。公立の中でも、面白い学校が出てきたり、スター校長が登場したりもしましたが、続かない。結局は仕組みの問題なんです。その改革をやった校長がその学校を去れば、また揺り戻されるようなことばかりです。とにかく岩盤中の岩盤です。それに伴い、公立を避けるために、私立の中学受験者数が増えているという側面も否めません。
私立か、公立か、オルタナティブか、インターナショナルか、全寮制か。様々な選択肢はありますが、何かの「くくり」で見るのではなく、「良い学校だな」「行きたいな」と思える学校を見つける努力を、子どもと一緒にすることが一番大切なことだと思います。目的は、何かのくくりに子どもが入ることではなく、子どもが健全に幸せになるという当たり前のことを忘れてはいけないと思います。
ー最後の砦は、やはり公立の学校でしょうか。
そうですね。民間でやり続けてきた理由は、私立にしろ、公立にしろ、私にとっての参入障壁が高かったからです。私立はお金があるお子さんしか行けないという点で、私の哲学とずれる。公立は、制度として実質参入できない。
でも、最終的には、やはり公立を変えたい。その夢は、いまだに持っています。そうでなくては、だめだと思っているんです。オランダのように、手を挙げれば、公立の学校をつくれるような制度改革をしてもらいたいですね。それこそが、「公教育」という場をドラスティックに改革するための、最後の一手だと思っています。
お金の多寡にかかわらず、すべての人が教育を受けられるというのは、日本の教育システムの最も大きなアドバンテージです。子どもがのびのびと育つ環境を担保できる公立を、死ぬまでに何とかやりたいな、と思っていますね。
取材執筆:染原睦美
撮影:鮫島亜希子