「教える」を手放して、子どもの自己決定を支えたい
今回から「学校の、なかのひと」と題して、新渡戸文化小学校で働く人や、そこに留まらない様々な学校や公教育の「なかのひと」を取り上げていきたいなと思っています。
第1回目は、新渡戸文化学園の理事長、平岩国泰さんです。
平岩さんは、2019年に同校の理事長に就任。それまでは民間企業の経営企画や人事部で働く傍ら、2005年から放課後NPOアフタースクール(以下、アフタースクール)の活動を開始、2011年には会社を退職し、教育改革に邁進していました。アフタースクールの運営を担っていたことが、今の理事長就任へと繋がっています。平岩さんの「学校」についての考えを、2回に分けてお届けします。
プロフィール
——平岩さんがアフタースクールを立ち上げたのは、ご自身が親になられたことがきっかけですよね。
当時、子どもの連れ去りなどが事件になる中で、自分の子ども含め、子どもたちが自由に外で遊べなくなっていることを残念に感じていました。公園は危ない、路上なんてもってのほか、共働きの家庭が増え、地域の繋がりも薄くなった昨今、大人たちの目も行き届かない。じゃあ、家の中に閉じこもるしかないのか。そんな状況にに違和感を感じていました。
学年を問わず、共働きかどうかに関わらず、すべての子どもが好きな活動をできる場所。そんな場所を目指してアフタースクールを立ち上げました。
「自立デビュー」を再設計する
——具体的にはどのようなアフタースクールを作られたのですか?
自分の放課後を自分で決める、そんな空間であることを意識しました。
自分自身の少年時代のことを振り返ってみても、放課後は自立のデビューでしたよね。あの時間の「自己決定」って大事だったんだと思うんです。文字通り『放課』なので、先生もいない、チャイムも鳴らない、ましてや評価もされない。一人で過ごすか、友達と遊ぶか、どの公園にいってどんな遊びをするか、何時までに帰らないといけないか。そういう小さな決断をたくさんしていた時間でした。
そうした自由を今を生きる子どもたちに取り戻させてあげたいと思ったんです。でも、昭和には戻れないし、地域のコミュニティも薄れる中、それを担保できる場所ってどういうところだろう、そんな考えからアフタースクールを立ち上げました。
「好き」の周りに「学び」がある
——アフタースクールの活動を通じて、新渡戸文化学園と繋がりができ、のちに2019年に理事長へと就任されました。
アフタースクールで意識していたのは「子どもの自立」と「自己決定」でした。理事長になった今もこのことを大切にしています。
自己決定と幸福度合いの関連性はすごく強いと言われています。自己決定ができると、子どもの幸福度合いは大きくなる、と。特に日本でその傾向が強いのかもしれませんが、小中高は「将来のための鍛錬の場」と位置づけられることが多いように感じています。自分らしさを抑えて、皆と同じ『型』の中で過ごせるか、小中高はそうしたことに執心している気がします。小中高を通じて身につけた「同質性」を重んじる姿勢は、後々の人間形成にも影響します。
大学や企業を選ぶときに、「勉強してみたいこと」「やりたいこと」を聞かれて困った経験を持っている人は多いのではないでしょうか。「今、何を、やりたいか」ということを、聞かれなかったり、自己決定しないままに幼少期を過ごした子どもたちは、「自分でやりたいことを選べる」という意識が極めて薄い大人になってしまう懸念があります。
小学生の中にも、「今日は何やりたい?」と聞いたときに、「なんでもいい」「特にない」と言う子が少なくありません。普段から「自分は何をやりたいのか」と聞かれていなかったり、大人の言うことを“こなし”続けたりしていくと、そうなることもやむを得ないのかもしれません。
小中高の時代こそ、自分はどのようなことに心惹かれるのか、どんなことに熱くなれるのか、そういうことを探索する機会にたくさん直面することが必要なのではないでしょうか。その結果としてはじめて、高校を卒業する頃には自らの進路を能動的に選択できる子どもになれるはずです。
——「好き」「やりたい」と言う機会はおろか、それを聞かれる機会もないかもしれないですね。
そうですね。これは、子どもに「将来の夢は?」とか「何になりたい?」と聞くというのは違います。ましてやそれを職業で聞くことも私は違うと思っています。今この瞬間の「自分の好き」を大切にすることに焦点を当てる、という話です。
学びというのは、本来、好きなことの周りに存在しているはずです。鉄道が好き、の周りには、車両の形やスピードや列車の名前があって、時刻表なんかもある。スピードを出すにはどんな構造であるべきか、スピードはどう計算されるのか、新幹線の名前には意味があるし、時刻表には美しい数学の要素があります。こうして、好きなものを中心に学びが広がっていきます。
私たち大人は、先生も含めて、教えるだけの存在ではないのだと思っています。大人が存在しなくても、自ら学び続ける意欲を持ち続けられるよう、ともに学びの楽しさを分かち合い、その楽しさの周りに存在するさらなる学びや問いを一緒に探究していく支援者でもあるべきだと思っています。
そのために、子どもが何に興味を持っているのか、それぞれの子どもたちの特別な「スイッチ」を探し、学びに繋げ、好奇心を広げていく伴走者でありたいと考えています。決められたことを「鍛錬」としてこなすのではなく、好きなことを見つけることに寄り添い、その周辺にある学びや自己決定を支援するのが大人の役割だと思っています。
では、具体的に大人は子どもとどう向き合うべきか、次回に続きます。