スクールカウンセラーとして、子どもの「NO」から学ぶ
こんにちは、新渡戸文化小学校note編集部の染原です。一人ひとりの先生たちのことを深く知っていただく「先生に聞きたい10のこと。」。今回は、新渡戸文化学園のスクールカウンセラー望月大八さんです。新渡戸文化学園のカウンセラーとして、小学校のみならず、子ども園から短期大学まで幅広く児童や生徒に向き合い、時には先生や管理職、親御さんとも面談をする望月さん。どんな仕事を担っているのか、お話を聞きました。
1.現在の担当を教えてください
スクールカウンセラーとして、新渡戸文化学園全体のカウンセリングを担当しています。子ども園から短大まで、児童・生徒・学生からの相談、保護者や教員、学園の中で働く職員の方からの相談を担当しています。
2.経歴を教えてください
私は、臨床心理士という資格で仕事をして15年になります。2019年には、福祉や教育といった幅広い知識をもって助言や援助をできる公認心理師も取得しています。
最初の勤務地は児童相談所でした。その後、自治体の教育センター、教育相談所など数カ所勤務する過程で、主に子どもの問題行動や子育ての悩みについて担当することも多くありました。2018年に、前任の方が退職されるのを期に、新渡戸文化学園に着任。現在は、週に3回新渡戸に勤務、その他の曜日は、心療内科・精神科のクリニックに勤めています。
3.現在の担当の業務について、その業務がどのようなものかを教えてください
相談されたい方から申し込みをいただき、それに対して相談に乗るというのが基本の流れです。申し込みの経路は、メールやお電話で直接いただくこともあれば、担任の先生から担当する子どもの依頼として間接的にいただくこともあります。定期的に相談に来る方もいれば、1度で終わる方、不定期に来られる方など様々です。
相談には守秘義務がありますので、基本的には第三者に漏れることはありません。もちろんご本人が望む場合や、逆にそうではなくても緊急性が高い場合などは、担任などの第三者と協力をしていく場合もありますが、基本的にはある種の独立機関として位置づけられています。
4.「保健室」との違いは何ですか
過去には保健室が担っていた役割を一部担っている側面もあるかもしれません。体の傷ではなく、こころの傷・こころの成長の専門家なので、「こころ」という観点から専門的に対象者と関わっていくことができます。対象が先生や親御さんなど範囲が広いので、そのことによって見えてくることもあります。
スクールカウンセラーの設置や存在は、時代の要請ともいえます。時代によって子どもの問題は違いますし、様々な社会背景によって立ち現れる問題があります。ある時代では「家庭内暴力」「非行」ということが大きな問題となっていましたが、今は以前ほどは話題になりません。
一方、現在は子どもの「発達」や「トラウマ」がクローズアップされています。それらの問題は無くなったわけではないですし、子どもが変わったわけでもありません。時代背景によって、何が浮き彫りになるかなのだと思います。現在は、社会との繋がりや社会資源を利用するといった側面から「スクールソーシャルワーカー」の役割も注目されています。
5.現代の子どもたちが抱えているストレスにはどのようなものがありそうですか
大人や社会に余裕がない現状が、子どもにも閉塞感をもたらしているように感じます。読み書きそろばんが大事で、それができれば生きる選択肢が増えていく、という時代ではありません。自分に合った方法で、自分が得意とするもので自分の能力を伸ばしていかなくてはいけない時代に、その「余白」を子どもたちに対して、私達大人が用意できていないと感じます。
例えば、大人と子どもでは時間の感覚がかなり異なっています。同じ1週間でも、子どもの頃の1週間は随分と長く感じられたものではないでしょうか。昨今は、大人の時間感覚で子どもが生活することが大変多いように思います。「生産性」「目標達成」という社会の要請によって、子どもの生活も急かされることが多い。そのことによって、大人の目から離れた自由な時間、空間というのがどんどん減っている気がします。
例えば、平日の子どもの自宅での過ごし方を考えてみてください。帰宅後、場合によっては習い事、習い事から帰ってきたら、宿題、ご飯、お風呂、明日の準備、と止めどなく「やらなくてはいけないこと」で埋まっているのではないでしょうか。大人は次々に「やるべきこと」「やってほしいこと」で、子どもの時間を回そうとします。タスク管理のようです。でも、それでは子どもは息切れすると思うのです。もしかしたら、大人だって息切れしているのかもしれない。大人も子どもももっと「くつろげる」時間を取れるといいなと思いますね。
昔は秘密基地を作って遊んだ方も多いように思いますが、今は子どもだけで秘密基地を作るような機会はほとんど失われているのではないでしょうか。そもそも、子どもが秘密を持つことさえ許されないように思います。本来、秘密を持つことは非常に重要な発達の段階です。大人が遊びのプログラムとして「秘密基地の作り方」といったものを提供していることを見かけますが、それは本末転倒だと思います。目の行き届かない「余白」を持つ余地が、失われているような危惧を覚えます。
学習の面でいうと、読むのが苦手、書くのが苦手、という子どもがいたとします。その場合でも、鉛筆で書くという方法しか提示しない、といったような教育では、子どもがストレスを抱えるのは当然の帰結ともいえます。マイノリティの子にとっては、虐げられているという感覚に陥っても仕方がない。勇気を持って変えなきゃいけない、というけれど、本来、「人権」という立場に立てば、その勇気など必要ないはずです。自然とそういうことが受け入れられるべきだと思っています。
そのほかにも、光や音に敏感、貼ってあるもので気が散る、といった子どももいます。様々な条件が揃わないと学習できない子どもに対して「落ち着きがない」と子どもだけの課題として片付けてしまい、環境側の課題を棚上げにすることがあります。人間は環境との相互作用で生きています。その人の「生きづらさ」にもっと寄り添ってあげなくては、ストレスがたまるのは当然ではないでしょうか。
「学習ができるかできないか」というのは、子どもにとって、大きな大きな問題です。自尊心に相当の影響を及ぼすのです。周りの友達が一定のスピードで進んでいる中で、自分はついていけてない、ということを、大人が分かる以上に、その子自身が一番気付いています。「取りこぼされる」という不安を抱えながら教室にい続ける子どもがいかに辛いか、そうしたストレスは時代と共に大きくなっている気がします。
6.どんなことを念頭に子どもと関わっているか、子どもと関わる際にどんなことを大切にされているかを教えてください
子どもは大人に対して、様々な形でSOSを出しています。声にならない声とでもいいましょうか。子どもの年齢が小さいほど言葉でのコミュニケーションは難しいですが、発信力そのものは大人と比べて変わらないと思っています。大人が言葉に依存し過ぎて、他のコミュニケーションのチャネルを忘れてしまっているとすら思います。子どものSOSや言葉以外のメッセージを受け取れるように心がけています。
たとえば、子どもが突然大きな声を出したとします。大人は「静かにしなさい」と言うでしょう。でも、子どもからしたら、「なんで?」となります。そのときに、大人が改めて、「なぜ静かにしないといけないのだろう?」と考えることや、「普段はこんな大きな声を出さないのに、どうしたのかな?」と受け止める余裕、そういうものを持てるといいなと思います。
問われているのは、大人なのでしょう。子どもは、大きな「NO」を大人に突きつけてくる存在なのだと思います。大人に対して「もっと私の事を分かってほしい!考えてほしい!」と理解を迫ってくる存在だと思います。大人が考えたくないことや考えずに盲目的に信じていることに対して、「NO」をまっすぐに突きつけてきます。
それをねじ伏せようとするから、子どもは怒るのです。あるいは従うしかないと諦めてしまうかもしれない。子どもの問題行動とされるものには、そういう意味やメッセージが含まれています。大人は、ねじ伏せることができるし、だからこそ自分の権力に無自覚であってはいけない。そう考えれば、子どものすべてに対して、好奇心を持ち、謙虚に向き合い、それによって子どもの「SOSをつかみ取る」ことが大切なのであろうと思います。子どもから学ぶ、教わるということだと思います。
7.クリニックでのカウンセリングと学校でのカウンセリングの違いはどのようなところにありますか
子どもについて言えば、目の前でカウンセリングした子どもの「日常」を教室や学校という場所で見ることができることは非常に大きなポイントだと思っています。臨床現場では、クリニックに来ていただいた「そのとき」しかお目にかかることができない。一方、特に子どもは、その語彙力も含めて、言葉で説明したり、考えをまとめたりすることが必ずしも上手にできないことも多い。その点、教室に行って、その子どもを見ることで、カウンセリングルーム内だけでは見えなかったことが見えることが多々あります。
一方で、学校には、決められた「卒業」があります。自分のタイミングで相談を終えるということではなく、あらかじめ決められた歳月で相談も終わらないといけない。クリニックみたいに自分のタイミングで決められないんですね。その子どもの人生は卒業しても続いていくわけですが、「ここ」で関わってあげることは卒業後はできないというのは、街中にあるクリニックとは違うポイントですね。
8.新渡戸でスクールカウンセリングをすることの意義や面白さはどのようなところにありますか
新渡戸の先生たちは、みなさん本当に勉強熱心です。子どもへの向き合い方が真剣です。僕が話すことや見立てについて真剣に話を聞き、それを何とか子どもたちに還元できないかと考えている気がします。
ある児童の事柄について相談に行った際、その担任の先生だけで留めるのではなく、そのクラスを受け持つ教科担任の先生、昨年度のこともご存知の先生、さらには管理職の方とも共有、連携を取ってくださいました。結果、連携会議を何度も重ねる中で、できることを模索していくことができました。風通しのよさや、子どもたちの環境を良くしていこうという先生たちの積極的な姿勢を感じた瞬間でした。
そうした先生たちと一緒に働いていると、こちらも当然真剣度合いが増しますし、真剣に先生たちにもフィードバックをしようと思えます。
学園全体のスクールカウンセラーであることもまた面白いと思っています。関わる年代が、言葉さえしっかり話せない幼児から大学生まで関わらせていただいています。子どもから青年まで、年代の変化含めて見続けられることは、「小学校」「中学校」といった限られた箱の中でカウンセラーとして働く以上の意義を感じます。
9.新渡戸で課題を感じているところはどこですか
新渡戸の課題というよりは、「カウンセラー」や「カウンセリング」というものへの抵抗感をいかに下げるかが今後の課題かなと感じています。
もう少し身近に感じてもらえるような取り組みをしていきたいと思っていますし、誰でもどんなときにでもきてもらえるような、それこそ昔の保健室のような親しみを感じてもらえるようにできればいいなと思っています。
10.公教育について課題を感じているところはどこですか
スクールカウンセリングを通じて、社会そのものを見ている気がします。
今は、社会全体としてゆとりが無くなり、格差が広がり、子どもにそのしわ寄せがいっていると感じています。その結果か、「課題解決」「目的達成」「生産性」「効率」ということが子どもの世界に入ってきていることを多く目にします。
子どもは遊びを通して成長します。ゆえに、子どもには遊びが必須です。遊びとは行為自体が目的であり、いわば無駄や無価値だと外から言われるようなものを多分に含みます。そのようなものが尊重される時間や場所が、大切なのです。遊びは、試行錯誤する営みです。そこには、いわゆる“無駄”や“無価値”も含まれます。そのようなものを許容する社会のゆとりを確保することが、必要ですが、今は社会や大人側に、余裕やゆとり、遊びを確保する部分がどんどんなくなってきている。結果、子どもに課題解決や目標達成という、「小さな大人」になる事を要請している気がするのです。
遊びは、成長のためだけではありません。子どもたちの大切な表現方法です。どんなに大人が「くだらない」と思うような「遊び」でさえ、子どもはそこに何かを見出し、表現しているのです。
私のカウンセリングの部屋にも様々な道具が置いてあります。まずこの部屋に入ってきて、どのおもちゃで遊ぶか以前に様々な分岐があります。おもちゃを気にするかどうか、気にした上で触るかどうか、触る前に僕に許可を取るかどうか、触るとしたらどのおもちゃを触るか、触ったあとに、ようやく「どのように遊ぶか」になります。それこそが子どもの個性であり表現なのです。
遊びを中心とした子どもの動きすべてを「自己表現」とみなすなら、そこから得られる「サイン」を常に感じ取るのが大人の役目だと思います。その立場に立てば、「不登校」だって、切羽詰まった状態を守ろうとする自己表現と見ることができます。
僕自身が頼りにしているのは、子どもの資質や伸びる力です。子どもはパッシブな存在だけではなく、先ほども述べたような強いメッセージを発する存在です。それは大人への警告や挑戦、あるいは強い「NO」という反対の表明なのです。大人や社会に理解を求めている存在なのだと思います。それらを大人がどう気づき、子どもの教育や養育に生かしていくか。子どもたちのメッセージは、大人には耳の痛いことが多いこともまた事実だと思います。大人に自らの考えやスタイルを問うてくるからです。そういう自らの価値観やスタイルにチャレンジして来る子どもに、どれだけ真摯に向き合えるかが今、問われていると思います。
子どもは大人に依存して生活しています。ですから、大人自身の苦しさや閉塞感をどう打開し、ゆとりを確保するかは、子どもの生活にダイレクトに影響します。その意味ではまた、大人側が自らの生き苦しさやSOSを発していくことが必要だろうと思います。
「教育」とは、「教える」と「育てる」という字が入っています。特に「育つ」ということは、時間と手間とがとてもかかります。当然、大人が希望する通りに育つわけではありません。
育つには、待つことが求められます。植物を育てるには、適度な養分や日の光や水を与え、その植物の成長する力を信じるわけです。早く成長させようと思って、栄養を与えすぎてしまうと、逆に枯れてしまいます。そのように成長するペースによって待つことが、育てることには必要だと思います。待つ姿勢を維持すると、いつしか花が咲くわけです。
それは、とても嬉しいことですよね。そのように、子どもが少しでも安心して伸びていき、自分らしい花を咲かせることのできる環境を整えるのが、大人の役割だと私は思います。
取材執筆:染原睦美
写真(最下部):鮫島亜希子
※写真に写っている子どもと、カウンセリング対象とは一切の関係がありません。