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先生は「置物」くらいでちょうどいいのかもしれない

こんにちは、新渡戸文化小学校note編集部の染原です。一人ひとりの先生たちのことを深く知っていただく「先生に聞きたい10のこと。」。今回は、廣瀬数寿先生です。「先生というより一人の人として子どもたちに寄り添いたい」と話す廣瀬先生は、新卒で新渡戸文化小学校に着任。現在、3年連続6年生の担任を受け持っています。

子どもたちと向き合う廣瀬先生。8で紹介する「MY BEST SHOT」のプロジェクトで、子どもが何気ない廣瀬先生の普段の様子を撮影してくれたもの。

1.現在の担当を教えてください

6年生の担任をしています。担当は国語と算数です。

2.経歴を教えてください

生まれも育ちも東京都で、公立の小学校・中学校を経て、都立高校に入学。高校3年生時に1年間米国に留学をし、教員養成大学に進学。教職大学院を経て、新卒で新渡戸文化小学校に入職しました。

3.新渡戸文化小学校に来た理由は

ほかの先生方がはっきりとした動機がある中なんだか申し訳ないのですが、僕が新渡戸に来た理由は、本当に偶然です。最初は東京の公立試験を受けていたのですがなかなかうまくいかず、東京都の臨時職員採用枠を待っていたところ、大学の方の紹介で新渡戸文化小学校の存在を知り、採用面接を受け、ご縁あって入職となりました。

4.新渡戸のどんなところにモチベートされていますか。

職員室を見渡すと、本当に笑顔が多く、その雰囲気が好きです。そして、何より会話の中にエピソードトークが多いのも特徴だと思います。「今日こういうことがあった」という話もそうですし、それをほかの学年のことまで見ている先生が少なくない。「今日昼休みに、2年生がこういうことしてた」「今日1年生の●●君が泣いていたけど大丈夫かな?」などなど。

新渡戸の特徴は、教室と職員室が変わらないところなんだと思うんです。杉本竜之校長と遠藤崇之校長補佐が作ってくれるある種の「教室」が、職員室であり、僕ら教員はある意味で児童のような位置づけ。だからあれこれ言っても受け止めてくれるし、いろんな教員がいることも認めてくれる。大人の世界と子どもの世界を分けないで考えてくれている雰囲気が好きです。

だからこそ、やりたいことをまずやらせてくれるんですよね。子どもたちにそう教えているし、そうやってもらっているのだから、そりゃ先生たちもそうしますよね。一般の公立校で実施しようとすると、何個はんこが必要なんだろうと思うようなことも、「いいね!」とやらせてくれる環境があります。

5.実際にどのような取り組みをやってみているのでしょうか。

例えば学級通信でしょうか。学級通信自体はよい取り組みだと思うのですが、自分のクラスで、自分が考えたペースで、自由なフォーマットでやれる、というのはかなり恵まれていると思います。

本来であれば、出せなくなったらどうするのか、とか、写真は個人情報として大丈夫か、とか、同じ学年ですべてのクラスでやるべきではないかという議論に始まり、結局やれない、もしくはやるまでに長い議論や「ハンコ」が必要になりがちです。それを、「まずはやってみたらいい」とやらせてもらえています

今年の6年生の学年のテーマは「炎」なので、「灯火」という学級通信を出しています。先生からの発信不足を常々感じていて、発信量が多いことは、親御さんの安心にもつながると思っているんです。去年は少しだけ休んでしまうこともありましたが、今年は毎日発行し翌日に配布し続けています。

親御さんに連絡しなくてはいけないような事案を未然に防ぐには、何もないときに何を育てるか、何を伝えるかが大事だと思っています。親御さんには、「灯火」をきっかけに親子で話す時間を作ってもらえたらいいなとも思っています。制作時間は、慣れれば20分くらいですし、新渡戸は教科担任制を取っているので、国語と算数の時間以外は時間があります。

毎日発行している学級通信「灯火」。写真がたくさんあり、子どもたちの様子が生き生きと伝わってきます。

やっていて思うのは、結局「書く」より「見る」ことをやっているんだと感じます。デッサンをする感覚に近く、描く技術よりも見る技術が大切というか。実際に起こった気づきや子どもたちの良いなぁと感じた行動をそのまま書けばいいだけなんです。

想定外の効果としては、写真や文章を通して事実を伝えることで「言った言わない」などの誤解が少なくなったのも、子ども、親御さん、教師の3者間にとって良かったと思います。

昔、僕に教員としてのイロハを教えてくださった先生が言っていた言葉が印象的です。「保護者が学校に電話をかけてくることをできるだけないようにする。保護者よりも先にこちらから電話できるようになっていれば、8割うまくいく」と。その意味でも、起きていることをオープンに伝えられるツールとして役に立っているのではないかと思っています。

6.子どもたちと接する上で大切にしていることはどんなことですか。

情を大切にしています。6年生は特に、正しさだけでなく、優しさが大事なときがあると思っています。

塾や勉強で辛いときに「靴のかかとを踏むんじゃない」と言われたら、ムカッときますよね。なんとなく友達と喧嘩してしまって、「バカ!」と言ってしまったときに「バカはやめなさい!」とも言われたくない。そんなこと分かってるはずなんです。それよりも「なんでそうなっちゃった?」とまずは聞いてあげる。そのあとにようやく「こうすべきだったよね」というのが大事かな、と思っています。

正しさばかりだと、結局子どもはついてこないんです。

実は、このことには僕が経験した苦い過去があります。過去に担任を持ったときに、「子どもたちから信頼を得られていないな」と感じるようなことを直接的にも間接的にも言われることが少なくなかったんです。

授業でも、私が前に立つと全然話を聞いてもらえないし、注意しても聞いてもらえない。ほかの先生の授業では、皆落ち着いているし、すごく良い雰囲気なんです。その時の僕は、本当に追い込まれていて、自宅に帰ってもこたつで眠ってしまい、翌朝這い上がってなんとか学校に行く、そんな状態でした。

でも、途中で気づいたんですよね。自分を先生と思うからよくないんだな、と。子どもたちは、自分の気持ちに気づいてほしいだけで、善悪よりも「今の状態」を分かってほしいだけなんだな、と。それ以降は、何かが起きても、「やめなさい」という前に、できるだけ「どうしたー?」と聞けるようになってきた気がします。

7.子どもたちの「気持ち」を聞くうえで大切にしていることはどんなことですか。

具体的には数年前から「ジャーナル」という取り組みを実施しています。帰りの会のあとに、今日の自分の状態、自分の楽しかったことを書いて提出してもらっているのです。5分くらいで書いてもらっています。今年の6年生は、僕が、その前の5年間一度も見たことがない学年でした。一方、他の先生達は前の5年生の時代に担任をしているなど、信頼感が醸成されている。みんな「この人だれ?」とか「信頼できるのかな?」という気持ちでいるだろうなと思いました。

30人に1日1回声をかけて回りたい状態ですが、それもなかなか難しい。みんなのことを聞かせてほしい、という意味で、ジャーナルを始めました。文章が書けないときは、絵文字だけでもいいよ、と。「今心配なこと」とか「気になっていること」といったお題を出してあげるときもあります。そうすると書きやすいという子もいますね。

8.やりがいを感じている授業はありますか

4年ほど前から新渡戸文化小学校では、きょーいちさんというプロのカメラマンの方にご協力いただき、卒業アルバム用の個人写真を児童の指名した子がカメラマンとして撮影をするということになっています。

それに先立ち、一眼レフカメラを使って、お互いで撮りあうプロジェクトを始めました。そのプロジェクトがだんだん進化していることにやりがいを感じています。昨年まではお互いで撮影しあって終わっていたのですが、何かしらの形にしようということで、何気ない一瞬をお互いで切り取るプロジェクトとして「MY BEST SHOT」という授業を今年は実施しました。

本物のカメラマンのよう。

合計16台のカメラを使って、1週間のうちに3回あるプロジェクト科の時間でお互いを切り取りました。出席番号順に1日ずっと貸し続ける、といったことにも取り組みました。

そうすると、本当に自分さえも見たことのない子どもたちの様子が伝わってくるんですよね。変顔や、変な動作、ふざけ合っているところ、リラックスしているところ、撮られていると分かっている状態、気づかぬうちに撮られていた写真、本当に色々でした。男女関係なく仲良しのクラスだったのも良かったんだと思います。

子どもたちの顔も真剣そのもの。

写真を撮り合うことで、他者から見た自分自身について知り、自分自身への理解を深めることができると思っています。最上位目標は自己理解で、撮影することによって「この写真が好き」という感情に気づき、なぜ好きかということを考え、言語化するので、「自分が何に心が動くのか」ということを知ることができます。

昨今ではコロナ禍の影響でマスクをすることに慣れた反動で、マスクを外すことを嫌がる子どもが増えました。でも、写真を撮影する中で、自分の顔を出すことができた子どもが増えたのもとても嬉しかったです。

9.自分の教師としての強みはどこにあると思いますか。

2年前に、本村凜先生や栢之間倫太郎先生と6年生を担当した際、「ああこんな先生たちがいるのか」と、到底及ばない、という気持ちになったことを覚えています。本村先生の子どもとの接し方や授業の作り方、栢之間先生のプロジェクト科やそこに至る準備。どれをとっても叶わないと思っています。

でも、その2人が言ってくれたんですよね。「ひろちゃんがいないと、うちの学年は成り立たないよね」と。児童対応も保護者対応もうまいと言ってくれたんです。びっくりしました。私は、彼らのように言葉もうまくないし、授業も見劣りしてしまう、と思っていたんです。

でも、二人には、僕らしい先生の形を見つけられればいいと言ってもらった気がしています。なので、今ではそれを真に受けて、「できる先生」を目指すよりも、「そばにいてもらいたい先生」であれればいいな、と思えています。

10.どんな教師としてありつづけたいですか。

クラスを担任していて、良い意味で「私がいなくてもいいな」と思うことが多いんです。子どもたちが喧嘩しているようなときに、子どもたちにも「ひろちゃんがくると面倒だから来ないでいいよ」と言われることが多いです。ほかにも、「さっき、低学年が困ってたから助けてあげたよ」といったように、事後報告が多い。「せんせーい!きてー!」と呼ばれることがないんですよね。それって、すごくいいことだな、と最近思うんです。

よくよく観察すると、揉め事や困ったことって、教員が解決した場合と、子どもが解決した場合だと、教員が解決したものは対症療法になっていることが多いと感じます。大人が注意すると、静かになるけど、5分しか持たない。でも、横にいる子どもが、「うるさくしてたら、ひろちゃん困るだろ。静かにしろよ」というと、すぐ聞いてくれ、ちゃんとしばらく静かになる。大人が言ったり解決したりするより、仲間の言ったことや仲間同士で解決したことのほうが100倍強い気がします。

解決するのは教員じゃなくていい。最近そう思うことが多いんです。私は置物でいいなって。「帰って来る場所」になればいい。誰かと喧嘩したときとか、誰かに怒られちゃった時とか、何かあったときに、「一人じゃないよ、話聞くよ」と言える人になりたいし、自分が子どもにとってそんな居場所になればいいと思っています。

執筆:染原睦美