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3学期に6年生がいない学校で、先生と話したこと

こんにちは、新渡戸文化小学校note編集部の染原です。

2月中旬の土曜日、新渡戸文化小学校では、希望する親御さんを集めて「教育を考える会」を実施しました。内容は、「子どもたちにとって、今、必要な教育とは何か」を考えるもの。一瞬、何を今さら、と思われるかもしれない内容ですが、杉本竜之校長や遠藤崇之校長補佐が、ここ数年考え続けてきたテーマであり、その中で抱えたモヤモヤを親御さんと共有するという意味がありました。特に小学校3年生以降の子どもの「生き方」について。それは端的に言えば、中学受験を目指し、早期教育に走る大人への切実な問いかけでした。

子どもたちの選択肢を増やしたい

中学受験を目指す子どもたちは、学校を午後3時過ぎには終え、塾に行き夜9時、10時まで勉強する。場合によっては、塾のあとも自習をして帰宅が深夜12時近くになることも。山のような宿題をこなしたあと眠りにつき、翌朝は眠たい目をこすり、重たい体を引きずるように登校する——。子どもたちは、時に授業中に船をこぎ、疲れた顔を見せ、ストレスを発散させるような行動を取ることもあるといいます。そんなことを日常的に目にする先生たちは、「何かが違うのではないか」と課題感を募らせていきました。その結果、今回初めて「教育を考える会」を開催したという経緯でした。

遠藤校長補佐が、本会で繰り返し強調したのは、本会の目的は中学受験を否定するものでもなければ、内部進学率を向上させるための会でもまったくないということ。また、高学年の学級運営の難しさの原因を、受験や塾に帰するものでもない、ということも何度も主張しました。「どのような選択肢を選ぼうとも、私たちはその意思決定を尊重します。私たちは選択肢そのものを広げることを考えたいと思っています」と繰り返しました。

冒頭挨拶に立った杉本校長が本会で一貫して主張したのは「どんな時代になっても、子どもには幸せに生きてほしい」ということでした。「今、子どもに必要な力は、自分で周りをよく見て、自分で判断し、自分で行動する力です。それこそが自律に繋がる。では、学校や親は、本当にそのための環境を用意してあげられているのか」。それこそが、今回の「教育を考える会」の主旨でした。

同時に、杉本校長は、本会で自身の半生を振り返り、こんなことも述べました。日本財団の18歳意識調査の項目を用い、「多少のリスクが伴っても、新しいことにたくさん挑戦したい」「多少のリスクが伴っても、高い目標を達成したい」と考える子どもが半分以下であり、世界的に見ても低い結果であることを示し、言います。「答えた18歳を教育してきたのは、ほかでもない私です。大人の言うとおりにすればいい、先生に言われたとおりにすべき、そうした教育をしてきた僕らに責任があると思っている」。だからこそ、「今からでも、本当の子どもの幸せを真剣に考えたい」と続けました。

日本財団の調査結果を使って、日本の子どもの窮状を伝える杉本竜之校長

実は、本会から2ヵ月ほど前に、私自身も驚いたことがありました。1月末のある日、まだ授業が行われている日中にに小学校を訪れてみると、2クラスある6年生は1クラスに集まり授業をしています。あれっ?、と思って隣のクラスを覗いてみると薄暗い教室には「座る主」を失った机と椅子が静かに並んでいました。

6年生を担任する本村凜先生に話を聞いたところ、「3学期が始まってから、学年の半数が登校していない状態なんですよね....。6年生を受け持つのは初めてで、3学期の始業式の日は、本当にびっくりしました」と話してくれました。

着席している児童がまばらな教室で、カメラを向けるとまだあどけない子どもたちが視線を送ってくれます

3学期の始業式に「学級が始められない」

担任の先生たちにとって、始業式はしばらく休みで会えなかったみんなの顔や話し方、あらゆることから一人ひとりの様子を伺い、目標を立てたり、どんな風に頑張っていくかを決めたりする大切な日。「前向きなエネルギーを渡すとっても大切な日です。始業式の日は、13人もの子が不在の中で『一緒に頑張ろう』と言えなかった。2月上旬の受験が終わるまでは、『学級が始められない』という感覚でいました」(本村先生)。

受験勉強が忙しい、受験の日にインフルエンザや新型コロナウィルスに罹患しないように、端に疲れている——。その理由は様々だと言います。

本村先生だけではなく、同じく現在6年生を担当する栢之間倫太郎先生や廣瀬数寿先生も同じように悩んでいました。

栢之間先生は、新渡戸文化小学校で3年続けて6年生を担当してきました。「『学ぶことは、将来のため』『学ぶとは、覚えること』『学びの力は相対的に評価できる』という感覚を持っている子どもたちが多いことを危惧しています。人生の大切な時間に、人生の準備をしてしまっているのではないかと思うのです」。

1月末の6年生全員。いつもの半分くらいの児童を車座に集めて授業を進める栢之間倫太郎先生

「教育は人生の準備にあらず、人生そのもの」

栢之間先生は、映画『いまを生きる』が大好きだといいます。また、米国の哲学者ジョン・デューイが言ったとされる「教育は人生の準備ではなく、人生そのものだ」という言葉を大切にしていると言い、「今を生きられていないように見える子どもをどうしたらよいのか、と日々悩んでいる」と吐露しました。

もう一人の6年生担任の廣瀬数寿先生は、自分自身が幼稚園以降受験を何度も経験し、「失敗もたくさんした」と言い切る先生です。だからこそ、と続けます。「子どもは自分で決めた、と話しますが、たくさんの選択肢の中から、納得感を持って決められている子どもがどれくらいいるかが心配です。親が思う『将来が心配だから』『大変な思いをしないように』『今更辞めるのも...』『何となくやっておいた方がいいから』という気持ちを、子どもが察してやり続けているなら、一度立ち止まって考えてみてもいいのかもしれません」と自身の体験を通じて気付いてきたであろうことを、きっぱりと言い切ります。

「学校」という場所が誰にとっても万能でないことは皆理解しています。そして「教育を考える会」で遠藤校長補佐が繰り返したように、受験自体をスケープゴートとして扱うつもりも、先生たちにはありません

「大前提として 『学校に来ることは絶対』とは思っていません。各家庭の事情でホームスクーリングという方法もあるし、子どもが学びの環境を得られるならば、様々な選択肢があることはとても大切です」(栢之間先生)。

たとえ学年の半分が休んでいる状況下であっても、その半分が学校の存在なしで自分らしい学びのスタイルが確立できていればいい。一方、そう見えない子どもたちが少なからずいることに不安を覚えるといいます。

「他人のことなんて、気にしていられない」

一人の教育者としては、自分たちが展開する学びが足りていないという悔しさを感じます。受験を頑張っている子どもたちを否定する気持ちはありません。でも、どれくらい『人として』成長しているか、この時期にしかできない『学び』や『遊び』ができているか、どうしても負の側面も気になってしまいます」(栢之間先生)。

廣瀬先生は、特に6年生になった子どもたちの状態を危惧していました。「塾での勉強やその宿題が深夜にまで及び、睡眠不足で登校して、そのイライラを学校にぶつける子どもも少なくありません。例えば、時間を守る、物を投げない、悪いことをしたと思ったら謝るといったこと。普段なら『当たり前』に守れている子どもたちですが、敢えて守らなかったり、それによってストレスを発散したりしているようにさえ感じるシーンに出くわすことも多々あります。注意しても「なんでダメなんですか」と返ってくる。でも、それは『こんなに頑張っているんだから、学校では羽目を外させてよ』というような、心の声を聞いているようでもあり、辛くなります」と吐露します。「大人への不信感、みたいなものを感じるんですよね。そして、このイライラは彼ら自身の責任でもないし、そのことも分かっているから、強く叱ることがいいのかどうかさえ、分からなくなってきます」(廣瀬先生)。

廣瀬先生が6年生に対して週に1回実施しているアンケートからも子どもの叫びが伝わってくるようだといいます。「自分のことより他人のことを優先できますか、という質問に対して、『気にしていない、受験では誰かのことを構ってなんかいられない』という答えが書かれてあった時は、さすがに愕然としました。自分のことだけ考えていればいい、そんなことを12歳の子どもから聞くのは、耐えられないですよね」(廣瀬先生)。

当然、受験に挑む子どもたちが必ずしもこうした悩みを抱えていたり、それを原因としてこうした生活態度になったりしているわけではありません。一方、どこにもぶつけようのない苛立ちや悩みを抱えている12歳がいるということもまた事実です。

大人になるための準備期間で終わらせてほしくない

本村先生は、とにかく小学校時代は「楽しむためにある」と話します。「休みの日も学校の日も全力で楽しめるのが小学校時代だと思っているんです。今は、『休みがイヤ』という子どもも少なくない。塾と、塾の宿題と、模試に追われるからです。本当は、この時期の子どもの心は、ものすごく『ドリーミー』で、いろんなことにワクワクできて、プラスのエナジーですぐに走り出せて、あとは顧みない、そんな時代ですよね。大事な大事な大事な時期。その時期を、正直『大人になるための準備期間』なんかで終わらせてほしくない」(本村先生)。

こうした先生の悩みや学校の戸惑い、親御さんの不安は、どの学校でも、またどのご家庭でも少なからず存在しているものだと思います。私自身も、一人の2年生の子どもを持つ親として、同年代の子どもを持つ親御さんと話していて、同じように感じることがあります。

だからこそ、新渡戸文化小学校は冒頭のような会を催すことで、「皆と公教育を考えたい」というスタンスで一歩を踏み出しました。そしてこれはまだ始まりに過ぎず、答えもなく、これからも失敗や小さな成功を積み重ねていくチャレンジであると考えています。すぐに解決策は出なくとも、考え続け、できることから一つずつやっていくことこそ、私たちの小学校のみならず、広く公教育に資することなのだと信じています。

先週末、3月11日は、新渡戸文化小学校の70回目の卒業式でした。61人の卒業生を無事中学校へ送り出しました。どの子の笑顔もはじけていたのが印象的でした。

卒業式の日、子どもたちと一緒に写真に収まる本村凜先生

この学校を卒業するときに、「とにかく楽しかった!!」「自分が大好き!最強かもしれない!」「どうなっても生きていける!」そんな風に思っていてくれたなら嬉しい、と先生たちは一様に語っていました。

どうかこの子どもたちが、このあとの人生を、自分の幸せと向き合いながら、「今を生きる」瞬間をつかんでいってくれますように、と祈るような気持ちでその背中を見送りました。

記事執筆:染原睦美