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子どもたちの違いを愛し、シェアする——これが私の仕事

一人ひとりの先生たちのことを深く知っていただく「先生に聞きたい10のこと。」。今回は、本村凜先生。新渡戸文化小学校に着任して4年目。元々は「臨時」として着任した本村先生が、新渡戸文化学校に居続ける理由とは。

「凜先生」と下の名前で呼ばれることが多い本村先生。長期休暇が取れたときは、旅行をして自分の価値観を更新するようにしているといいます。出身は大島。柔道有段者でもあります。

1.現在の担任、担当を教えてください。

5年生の担任をしています。教科担当は国語、算数、道徳、学級担当です。

2.経歴を教えてください。

東京の教育大学で初等教育を主専攻に学びました。在学中、フィンランドに留学した方が執筆した書籍を読んで、フィンランドの教育に興味をもち、大学卒業後にフィンランドの大学院に進学。大学院卒業のタイミングで、新渡戸文化小学校から産休に入られる先生の代替教員のオファーをもらい、着任しました。

当初は半年だけの文字通り「臨時」での着任だったのですが、働いてみて、新渡戸で働くことがとっても楽しくなってしまい、結局当校で働き続けることに決めました。半年間の3年生の担任を経て、その後、4年生、1年生、6年生、現在の5年生、と担任をやらせていただいています。

3.新渡戸にきた理由を教えてください。

元々、学生時代の友人が新渡戸で先生をしていて、声をかけてもらったのがきっかけです。一方、上記の通り「代替教員」のつもりで着任したため、契約期間終了後は、辞めるつもりでした。正直、私立ということに抵抗があったのです。お金の多寡にかかわらず、すべての子どもたちに良質な学びの機会を提供したいと思っていました。

結局続投を決めたのは、平岩理事長の目指すビジョンに共感したためです。「この学校の子どもたちと、先生たちを日本一幸せにする」と。言っているだけではなくて、日々そこに向けて学校全体が邁進している様子もこの目で見ていました。そして、理事長は「新渡戸だけでやる」という気持ちはまったくなく、「新渡戸でできたことを、他の学校にも還元できるようにしたい」ということをずっと言っていて、それができるなら是非ここで私も頑張りたいという気持ちになったのでした。

4.新渡戸のどんなところにモチベートされていますか。

やりたいという意思ややりたいことが自分の中にあれば、それを形にする場を喜んで提供してくれるのが新渡戸です。それは、先生に対してもそうですし、子どもたちに対してもそうです。もちろん、すべてのやりたいことを実現できるわけではないですが、まずは「やりたい気持ちがあるなら、やってみよう」の精神が学校全体に漂っているところが好きです。

そんな環境の中で、常に自分が成長できていると思えるのは、やはり周りの先生がいつも刺激を与えてくれるから。先生それぞれにすでに個性があるのはもちろんですが、その個性を生かしてさらに成長しようと「次」に向けて努力し、学び続けている先生たちの姿にいつも刺激をもらっています。

5.教育、学びについての考え方を教えてください。

子どもたちにとって何より大切なことは、「自己肯定感」だと思っています。自分のことが好きだと思えたり、自分の好きなことや得意なことを自覚したりできる機会をどれだけ持てるか。みんなとの「違い」を良い方向に際立たせてあげるのが担任の役割だと思っています。違いをたくさん愛して、その違いを子ども一人ひとりの価値として大いに表現して、クラスみんなにシェアしてあげたいと思っています。

「せんせーぇ」とあらゆるところから本村先生を呼ぶ声が聞こえ、一つひとつに楽しそうに応える本村先生。

6.具体的にはどんなことを意識したり、実行したりしていますか。

子ども一人ひとりへの声がけはもちろん、舞台女優のように大きな声で、誰かの行動について、みんなのアテンションがいくような表現を心がけています。「いやー、ビックリしたなあ」とか「先生、鳥肌立っちゃったわあ」、「ちょっと、みんな見て見て!」など、自分の感想や気持ちをそのまま口にします。感動して思わず言ってしまっているわけですが、こうした何気ない一言を少し大きな声で言うだけで、言われた側も嬉しい、言われていない人もその人の良いところに注目できるようになる、自分もあんな風になれたらいいなと思える、など人間関係の潤滑油のような効果がある気がしているんです。

言われた当人は、自分の強みを自覚することができるし、そうされることで友達の強みに気付きやすくもなる。もっと言えば、人の強みや良い部分について、喜んだり応援したりこそすれ、嫉妬なんてしないようになるんじゃないかと思っています。

クラス開始当初は子どもたちの行動に対して賞状を用意していたことも。「認められた」という単純な嬉しさをまずは感じてもらうことに注力したといいます。その後、賞状が「目的化」する手前で、渡すのはやめたそうです。

7.新渡戸での、子どもとの関わりで印象的だった出来事を教えてください。

毎日、印象的なドラマをたくさん見せてもらっています。

例えば、昨日もこんなことがありました。チャイムが聞こえなくて、クラスの子どもたちが何人かまとまって集団で遅れて教室に入ってきたんです。そのとき「チャイムが聞こえなかった」とふてくされたような顔で言った子がいました。私は「チャイムが聞こえなかったことは分かったけど、そういう態度だと先生も悲しくなるなあ」と話しました。

そしたら、授業が終わった後、1人の男の子が私のところに来たんです。「今日はさぁ、ああいう形になっちゃったけど、あいつら、最近、いつもチャイムに絶対間に合わせるために一生懸命走ってるんだよ。ほかのクラスのやつらが、遅刻前提でクラスに歩いていってるときも、ものすごい勢いで急いでクラスに向かってるんだ。本当に、たまたま今日だけだったんだってことは分かってほしいな」と。もちろん大前提として守るべきルールはありますが、仲間のことを想って伝えてきてくれる子がいることも嬉しかったし、年初は遅刻が当たり前と思っていたような子どももいた中で、今は私が見えないところで少しずつ努力を重ねてくれているんだと思うと、すごく嬉しかったですね。

議論を進めるときは、子どもが自らファシリテーションする姿も。「なるほど、さっき佐藤は話したから、ちょっと待ってな」「うん、その意見ってさっきの意見に反対ってことだね。分かった」など、それぞれの気持ちをくみ取りながら議論を進める姿が印象的です。

あとは、小さな事ですが、少し前にクラスで輪ゴムが流行ったことがありました。結果、教室中に輪ゴムが落ちていたり、授業中に出して遊んだりと収拾がつかなくなってきたので、やりたくはなかったのですが、一度、持ち込みを禁止にしたんです。

そしたら、ある男の子が立ち上がって「いや、僕は持ってきたい!ルールを決めて、そのルールを守れた人に『ゴム許可証』を出すのはどうだろう。もし、授業中に出したり、ルールを破ったりしたら、車の免許証と同じで、剥奪するというで、ルール作りをしたい!」と。

提案してくれた児童は、どちらかといえば自分から行動するよりは、受身の行動が多いような子でした。それが、少しずつ声がけやクラスのみんなとの関わりで、ポジティブな発言が増えてきて、こんな提案までするようになった。こういう瞬間に立ち会えることは、教員の醍醐味だなあとつくづく思います。

子どもの提案で実現した「輪ゴム取扱許可証」。免許証と同じ仕組みで運用しています。

一人ひとりをしっかり見て、ちゃんと認める。「君は『ここ』で、頑張ればいいんだよ」と伝えてあげさえすれば、子どもたちは「そこ」でしっかり頑張ります。子どもは、元来真面目だし、実行するエネルギーに溢れているから、しっかり応えてくれるんです。

できなかったことが、できるようになっていく子どもを見たり、その途中経過に少しでも関われていることがあると感じられたりするときに、この仕事をやっていてよかったと心から思いますね。

本村先生が感動したことを居酒屋のメニューのように教室に掲示しています。ちなみに価格は、日付けです。

8.注力している学級作りの方法があれば教えてください。

リーダー制度に力を入れています。実は、「リーダー」の話って、あまり小学校では出ないんですよね。年齢や学年にもよりますが、子どもに「すべて」任せることをあまりしない。でも、子どもは十分「レディ」な状態だと思っていて、任せたら任せただけ吸収します。

例えば、今は「給食の時間に起きるすべてのこと」を2人のリーダーに任せています。個人的には、給食は一番子どもが育つ場所だと思っているんです。

例えば、おかわりの譲り合い。コロッケが6個残っていて、10人集まったら、どうしよう...ってなりますよね。今までは、ある程度私が差配して、じゃんけんで決めるなど、決め方さえ決めていたところもありました。これらも全部子どもたちに任せることにしました。最初は本当に時間がかかって、その当時給食の時間に来た別のクラスの先生も「これ、毎回やってるんですか...」と言っていたくらいです。

給食のことはもう「君たちに、全部、任せた!」

今では、いくつ残っても、どれだけの人数が手を挙げても、その数が偶数でも奇数でも、10秒くらいで解決できています。9個で15人なら、「今日は、555で、トップ3出して!」みたいな感じで、もう何を言ってるのか分からないのですが、子どもたちの中では、納得感のあるルールが決まっているようです。

それ以外にも、「食べる前に減らしたおかずをおかわりするのは、ありかなしか」「放送委員の人は、おかわりの時間帯に不在になるので、いつもおかわりできないのは不公平ではないか」など、あらゆる問題が出てきます。大人から見たら笑ってしまうようなことも、子どもたちは真剣です。こうしたこと一つひとつにリーダーシップを持って、ファシリテーションするのが、リーダーの役割です。

こうしたことを続けていたら、リーダー以外の子から「リーダーは、ずっと配膳したり、おかわりの件を差配し続けたりしていて、リーダーの給食が冷え切っちゃうの、かわいそうじゃね?!」とリーダーを慮る意見まで飛び出してきたときは、感動しました。

9.新渡戸について、もっとこうしたい、と考えていることがあれば教えてください。

もう少しリラックスして働けるといいなあ、と思います。これは、新渡戸というよりは、学校全体の問題でもあるかもしれません。

先生たちは、朝7時30分くらいには出勤し、昼休みも給食で子どもと過ごして、子どもを送り出して午後3時くらい。遅いと4時です。休憩時間はほぼなく、これで1日の規定労働時間はほぼ満たしてしまって、これ以上働くとほぼすべて残業になってしまうというような仕組みです。

人員を無尽蔵に増やせるわけでもないですし、学習指導要領におけるコマ数もほぼ決まっていて、どうにもならないことが多い。これだけ素晴らしい先生が集まっている新渡戸だからこそ、先進的な取り組みを実行し、かつ、先生たちが個々の特性を発揮しながら、持続可能な環境を作っていけたらと思っています。

最近ずっと頭の中にある言葉は「Less is more(少なさこそ、豊かさである)」です。減らすことで、増える幸せがたくさんあると思っています。新渡戸でその形を体現して、シェアができたらいいなと思っています。

10.現在の教育業界、学び、公教育について、課題に感じていることがあれば教えてください。

正直、学校教育の今のシステムに限界が来ているのではと感じています。特に日本の教員の働き方はすぐに手を打たなければ、これから育つ子ども達に大きな影響を与えてしまうのではないかと不安に思っています。

最近一番感じるのは、子どもたちは、自身の生活環境の中ですでに「圧倒的体験」をしているということです。家に帰れば、インターネットがあり、あらゆることを、どんどん自分で学んでいけるようになっています。しかも、インプットできる情報は国内のみならず、海外の情報も一瞬で手に入ります。英語ができなくても、動画を使って、言語さえ飛び越えて学べる。一方、学校に来たら、その環境はどうでしょう。ものすごい狭い範囲で勉強させられているという感覚を持つ子どもも少なくないのではないかと感じています。

昔は、教科書しかなかったし、頼れる「先生」は目の前の「先生」しかいなかった。でも、今は、子どもたちの世界は無限に広がっているといえます。学校がその広がりを奪うのだとしたら、そんな悲しいことはありません。この状況に私達学校や大人が対応できなければ、子どもは学校から離れてしまうでしょうし、子どもの可能性を潰してさえしまうような気がしています。

子どもたちの無限の可能性を活かせるような教育環境をどのようにしたら作っていけるのか、喫緊の課題として考えなくてはいけないですし、焦燥感以上のものを感じながら毎日教壇に立っています。

執筆:染原睦美

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