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夏休み明けの子どもたちと、私たちはどう向き合うべきか

 こんにちは、新渡戸文化小学校で教務を担当している橋本花織です。どの小学校も夏休みが明けて、学校に子どもの活気が戻っているころ。1ヵ月以上学校を離れていた子どもたちの中には、スムーズに学校生活に戻ることができる子もいれば、そうでない子もいるはずです。夏休み明けに子どもの自殺率が増えることや、それへのアプローチがニュースになるなど、この時期の子どもとの関わり合いについては、学校でも緊張感が高まるところです。

 新渡戸文化小学校でも、9月1日に始業式を執り行い、すでに2学期が始まっています。私自身は教員になってから11年ですが、今も日々悩みながら子どもたちと接しています。「何が正解」ということは言えないですし、そのような立場にもないのですが、私や当校の教員がこの時期、どのように子どもたちと接しているか、自分の経験も交えてお話しできればと思います。

夏休み明けは、一年で一番「スロー」くらいがちょうどいい

 夏休み明けは、子どもも先生も一年で一番力を抜いて、スローで行く、くらいでちょうど良いように思います。焦らず、ゆっくり、お互いを見つめる時間、くらいに思ってもらうのがよさそうです。

 子どもは久しぶりの学校で、毎日の準備や宿題といったことに再び生活リズムを合わせるだけでも大変です。親御さんも夏休み気分が抜けきらない子どもに対して、「宿題は?!準備は?!」となりがち。一方、先生はといえば、夏休み期間中に1学期を振り返って反省したり、学び直したりして、「2学期からはこんなこともやってみたい、あんなことも子どもと話してみたい」と気合い十分。

 それぞれの思惑の中で、拙速に授業や学校に集中させようとするのは、返って回り道になる気がしますし、何より、子どもに負荷がかかります。まずは少なくとも大人は、子ども一人ひとりを見つめてあげられる余裕を持ち、ゆっくりゆっくり、と唱えながらこの時期をスタートできるといいなと思っています。

 夏休み明けではないのですが、昨年担任を持っていたときは、月曜は必ず毎朝20分、ゴロゴロタイムを作っていました。当校の先生も子どもも大好きな「ガーデン」という広場で、「何もしなくていい」時間を作るのです。

皆が大好きなガーデン。

 本を持っていって、ゴロゴロ読んでもいいですし、仮眠するのも、友達と話すのも全部自由。塾やゲームで寝不足だった子どもも、ちょっと土日疲れた大人も、お互い全部受け止めて、週始めにそこでチューニングしましょうという時間です。

ガーデンでトランプに興じる先生と子どもたち

「月曜に来たくなる学校」が当校の平岩理事長の理念でもあるので、月曜日のその時間があるとないとでは1週間の皆の「ご機嫌度合い」が違った気がします。週末明けでもこれくらいのことをしているので、夏休みくらい長期の休みだとなおさら、チューニングの時間は大事だと思います。

 こう考えるに至ったのは、私自身の過去の失敗が影響しています。担任を持っていた時期、夏休みに1学期を振り返って、「あれはできた、これはできなかった」と思い悩んだことがありました。そのため、夏休み期間中は本を読んだり、先生仲間と議論したりと自分なりに夏休みを「教育中心」にアクティブに過ごしたことがありました。これ自体はいいことなんですが、その気持ちそのままに2学期に突入して、躓いてしまったのです。

 2学期になっても、「これは依然としてできていない」と、「できないこと」に目線を向けがちになっていました。できないことに目がいけばいくほど、余計力が入って、子どもとの関係がギクシャクする。そんな状態だと、当然「夏休み明け」の子どもたちの小さな変化に気づけなくなりますよね。

 自分のやりたいことだけに向き合って余裕がない先生に自分の気持ちを打ち明けてみようだなんて思えるでしょうか。そんな経験から、夏休み明けは、意識してペースを落として、まずは子どものことを真正面から受け入れられる「余白」を持つことに重きを置くようになりました。

「おはよう」の門から、「さようなら」の門まで

 新渡戸文化小学校の始業式は9月1日でした。今年もいつもと同じように、子どもたちが入ってくる「おくら門」に立って、元気な355人を迎え入れました。私自身は、今年は「全児童のうち、300人には話しかけよう」と決めて挑みました。「おはようー!」と久しぶりの学校に嬉しさが溢れている子どももいれば、挨拶もほどほどにほとんど目を合わせてくれない子まで、様々です。

 気にしていたのは、子ども一人ひとりの「表情」と「変化」です。その子が学校に楽しみにきたのか、「今日から学校かあ」と思いながら来ているのか。表情や挨拶の仕方で見えてくるものがあります。表情や挨拶そのものだけではなく、1学期と比べて距離が遠くなったように感じるとか、1学期は元気な挨拶で返してくれたのに、挨拶してくれなかったなとか、ちょっとした変化ですね。

 玄関でそんなちょっとした表情の違和感や今までとの変化を感じた子どもについては、昼間さりげなく様子を伺いにクラスに出向きました。教室にいっても、あえてその子には近寄りません。近くの友達のところに行って、さりげなく様子をうかがいます。友達と話しているかな、とか、先生に対する態度がどうかな、とかを横目で見る感じでしょうか。人との接点のみならず、机の上の状態や、水筒やカーディガンなど、自分が管理している物をどうしているか。子どもたち自身さえ気づいていないような小さなことからヒントを得られるように虫、鳥、魚の目で見るようにします。

教室での子どもの様子はどうか。先生たちはいろいろな目線と場所で子どもを見守り続けます。

 それでもまだ気になった子は、帰りの玄関や門で下校する児童を見守りながら、さりげなくその子が来るのを待つことも。ここで初めて、直接本人に会話を切り出します。「今日一日どうだった?」と。「楽しかった!」とか「先生がこんなこと言ってた!」と返ってくるといいのですが、「うーーん」と考え込む子は、また明日継続的に気にしていく、というその繰り返しです。たとえ、言葉を交わさなかったとしても、「おはよう」と門を入ってくるところから、「さようなら」と門を出て行くところまで、先生たち一人ひとりの目線で、夏休み明けの子どもを見守り続けます。

学校が始まる前から「夏休み明け」が始まる

 私は元々約10年間、関西の公立の小学校で教師をしていました。比較的生活が苦しい家庭が多い地域の学校に赴任していたこともあります。その頃は、例えば9月1日が始業式だとしても、「夏休み明け」は9月1日からじゃないんです。8月からスタートなんです。どういうことかというと、8月末から、子どもたちの様子伺いを始めるんですね。ご家庭を訪問したり、近所の公園に行ってみたり。朝6時に夜の仕事を終えてお母さんが帰宅するような家もあり、その場合、帰宅直後の朝6時過ぎに家庭訪問するということもありました。

 その頃は、今以上に子どもたちとの関係はもちろん、親御さんとの関係を意識していたように思います。親御さんと私たち教師との関係がしっかりしていれば、自然と悩みを相談してくれたり、逆に自分の子ども以外でも気になることをお話してくれたりするので、結果として、子どもとの関係性が安定する気がするのです。

 特に公立だと、地域に根ざしているので、公園はとってもよい場所なんです。いろいろな人が行き交うので、予期せずたくさんの子どもや親御さんに会える。そんな中で「宿題やってないから、始業式に学校に行きたくない」という子どもがいて、「じゃあ今日、学校で一緒にやっちゃおうか!」となったこともありました。

 宿題ができていないから始業式の日に学校に行きたくない、というのは公立に限らず、珍しい話ではありません。「え、そんなこと?!」と驚かれるかもしれないのですが、子どもによっては、それくらいのことに受け止める子も少なくありません。親御さんのサポートはもちろんですが、子どもがやりたくなる宿題の出し方や、その伴走についても引き続き、あるべき姿を探っていきたいです。

 学校が始まって、子どもたちは一気に友人関係や勉強などインプットも増え、家庭に戻って、伝えたいことがたくさんあるはずです。学校では先生がすべての子どもの話を同じだけ聞いてあげることもなかなか叶いません。この時期こそ、やらなくてはいけないことを伝える前に、ささいな話でも耳を傾けてもらえると嬉しいです。できないことより、できることに目を向けてもらえればと思います。きっと、この時期の「受け止めてもらえた」感覚は、普段より大きく自己肯定感に繋がるはずです。

この時期は、子どもも大人も、一年で一番スローにーー。

忙しい夏休み明け、大人はこのことを少しだけ心にとめて、子どもと向き合っていけるといいなと思っています。

編集:染原睦美
撮影:鮫島亜希子