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東北へ行った6年生、生きる意味を問う修学旅行

「染原さん、修学旅行に行きませんか」

新渡戸文化小学校の遠藤崇之校長補佐から、同校note編集部の染原がお誘いを受けたのは、2021年度も終わりにさしかかる3月末。「修学旅行、ですか?」と一瞬戸惑う私に、遠藤さんは「6月に6年生と岩手県大槌町へ行くんですよ」と続けます。新渡戸文化小学校の数々のユニークな取り組みを先導している遠藤さん。その人が「是非」という修学旅行が面白くないはずがありません。二つ返事でOKし、梅雨入り直後の6月下旬、6年生61人とともに、岩手県の大槌に踏み入れることにしました。

3.11のとき、0歳だった子どもたち

岩手県大槌町と聞いて、当然すぐに私の頭には東日本大震災のことがよみがえりました。当時何度となく通っていた東北地方は今、どうなっているのか。その場に留まって町を眺める機会を得るのは、3年ぶり。正直、個人的にも興味がありました。

東日本大震災当時の瓦礫や車、船が重なっている画像
2011年当時の宮城県気仙沼。写真は筆者が現地に入ったときの様子。車も、建物も、船も、何もかもが「あるべき姿」を忘れてしまったかのようでした(撮影:鮫島亜希子)

一方、今の6年生は、2010年、11年生まれ。ちょうど東日本大震災が発生した年に生まれた子どもたちです。あのときの異様な雰囲気を肌で感じていない、歴史としてどこか遠いものとして学んだ子どもたちが、東北で何を学ぶのか。

遠藤先生とともに今回の旅行を計画した学年主任の栢之間倫太郎先生が目指したのは「震災を学ぶ」ことだけではありませんでした。「子どもたちに『幸せとは何か』を考えてもらおうと思ったんです。震災によって大きな被害を受けた大槌の町には、今も住んでいる人がいる。外から移住する人もいる。あの震災を経て、新たな幸せをつくりだそうとする人たちと共に時を過ごすことで、子どもたちにとって多様な幸せを考えるきっかけを作れるのではないかと考えました」(栢之間先生)。

そのために栢之間先生たちが現地の事業者の方と一緒になって作り上げたのが、子どもたちが自ら選んで学ぶ3つのプログラムでした。子どもたちにプログラムを実施するために、パートナーとなってくださったのは、ジビエ産業に携わるMOMIJIさん、東日本大震災の時に避難所にもなり、町の中心として人々に寄り添っていた虎龍山吉祥寺さん、津波の後も残った森のありがたさを広めようと活動する吉里吉里国さんです。

MOMIJIさんでは、多くの命が失われた地で、動物の命をいただいて生きている彼らが、自分たちの使命をどう捉えているのかをお伺いします。吉祥寺さんは、避難所となりそこに集う多くの人の支えとなったことから、いまある「当たり前の幸せ」を説いてくれることに。吉里吉里国さんは、自然と共存する意味や自然がある幸せについて教えてくださることとなりました。子どもたちは修学旅行に行く前に、オンラインでそれぞれの企業や団体の担当者に話を聞き、その上で、自分がどのコースに行きたいかを決めて、挑みました。

生徒が自分の行きたいコースを選んでいる様子の画像
「友人とは相談しない」という約束で、自分が行きたいプログラムを真剣に考える子どもたち。

子どもたちの「選び方」は様々でした。「心臓がどうなっているのか気になる」そう言ってジビエコースに挑んだのは河村藍花さん。「どうして知りたいの?」と聞くと「うーん」と考え込む河村さんを前に、すぐにわたしの質問が愚問であることに気づきました。本来「好き」「気になる」に理由なんてないことがほとんどですし、それでいいはず。子どもの素直さに、そのまま私も乗っかることにしました。

三石健悟くんも「薪割りをやってみたい!」と純粋な気持ちで吉里吉里国コースを選んだといいます。加藤凜さんはゆっくりと幸せについて考えてみたいと言いました。「お寺で座禅を組みながら、自分だけじゃなくて他人の幸せもゆっくり考えられるかなって」。

子どもたちが「頑張ってください」と言ったら失敗

“頑張っている人”を見に行く修学旅行にはしたくない。目の前の出来事から、自分はどう思い、何を感じ、そのあと自分には何ができるかを考えるツアーにしたいと思いました」(栢之間先生)。自分にとっての幸せとは何か、「生きる」とは何なのかーー。震災「を」学ぶというより、震災「で」学ぶということに重きを置いたといいます。

震災の爪痕を見て、現地の人の話を聞いて、震災を学ぶだけなら、歴史的観光地を巡る修学旅行と変わらない。そこから得られる示唆から何を学ぶかを、先生たちは子どもたちと一緒に考えたかったといいます。「現地の人に対して、子どもたちが『頑張ってください』と言ったら、失敗。『自分たちも頑張るぞ』となれば成功、そう思っていました」(栢之間先生)。

わたし自身が多くの時間をともに過ごしたのはジビエのコースでした。少し遅れてわたしが現場に到着すると、すでに内臓がバットに収められている状態。ちょうど子どもたちが、薄膜に包まれた内臓を一つひとつ、胃、心臓、ときれいに取り出す様子を見せてもらった直後のタイミングです。MOMIJIの兼澤幸男さんがおなかの中をすっと切り裂き、「ぶわっ」と開けたとき、その立ちこめるものすごい獣臭に、子どもたちは一瞬後ずさりをしたといいます。

直前までおなかの中にあったろう内蔵が入ったバットを見て、わたしは「あれ...?」と思いました。緑の塊と、顔のようなもの。バット中を凝視するわたしに、隣にいた子どもが話しかけてきました。「赤ちゃんがおなかの中にいたんだよ。緑のは、食べていた草。あと数日で生まれるんだったんだって」。子どもの隣で、のっけから頭を殴られたような気持ちになりました。

鹿の体から取り出された赤ちゃんや胃袋の中の画像

さらに驚いたのは、内臓をすべて取られた母鹿から、まだ母乳が出ていたこと。乳首からもおっぱいが出て、お肉として捌かれた乳房にもじゅわっと母乳がにじんでいたのです。生を授かることなくこの世に出てきた小さな命と、命を絶ってもなお母乳を出し続ける母鹿。一度に奪われた2つの命を目の前に、大人のわたしも頭と心がややついて行けない状態になりました。

母乳が出てくる様子を子どもたちが見ている画像
「まだ、お乳がでるんだよ」と、母乳がじわっと出る母鹿のおっぱいを見せてくれました。

その後、子どもたちは鹿の解体を手伝わせてもらいました。物怖じせずに捌きにかかる子ども、ちょっと遠巻きに見ている子ども、具合が悪くなって車に一時避難する子ども。どのようにこの体験を受け止めるかもまた、様々です。

鹿を捌く子どもの画像

子どもたちはその後、キッチンに入り、鹿のお肉を大切に、部位ごとに切り分けていきます。子どもの表情は真剣そのもの。「疲れたー」とか「飽きたー」といった家のお手伝いでよく聞く言葉も、大切に捌いた鹿の前では、一切聞こえません。

鹿のお肉を丁寧に切り分ける子どもの画像

500キロの鹿から取れるお肉の量は約200キロ程度。「余すところなく使い切りたいんだけど、それでも300キロはゴミになってしまう」と話すMOMIJIの兼澤さんの横で、せめて食べられるお肉だけは丁寧に取り出そうと皆、必死です。

「お命を、いただきます!」

皆で捌いたお肉は、MOMIJIの皆さんが次の日のランチのカレーにたくさんいれてくださいました。カレーの中に鹿肉があるのか、鹿肉の隙間にカレーがあるのかと見まごうカレーを前に、一同感動です。

できあがったおいしそうなカレーの画像

はやる気持ちをぐっと抑えて、いただきますのご挨拶。このときの子どもたちの元気な「いただきます」は、命をいただく「いただきます」です。もらった命に「ありがとう」を伝えるための挨拶であることが、みんなのはじける笑顔から感じられます。「おいしい!」「おかわり!」元気な子どもたちの声を聞いて、こちらまで「命を食べて、生かされている」ことの幸せを感じました。

笑顔でカレーを食べる子どもの画像

各プログラムを終えて子どもたちが一同に介したとき、先生方は子どもたちの雰囲気に驚いたといいます。子どもたちの会話に「そっちに行けばよかったぁ〜」が一つもなかったからです。皆それぞれ「うちのチームはこんなことした!すごくよかった!」と誇らしげに語る姿が印象的だったといいます。

「楽しそうなものを選ぶのではなく、目的をもって選んだことが大きかったように思います。自分の幸せを探すために、どこに行くべきか、と。目的をもって自分で選択することが、こんなにも自分の行為に自信を持つことに繋がるとは、わたしたちも予想外でした」(栢之間先生)

今回の修学旅行はこれだけでは終わりません。もう1つ、大きいプログラムがありました。それは、また、次のお話。

取材執筆:染原睦美