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「町に住む幸せ」ってなんだろう、6年生が東北で考えた

岩手県は大槌町を3泊4日で巡る6年生の修学旅行。前回紹介した子どもたちがそれぞれに選んだ体験プログラム以外に、もう1つ大きなプログラムがありました。正解のない問いに、子どもたちがそれぞれ意見を紡ぎながら挑む「決断のワークショップ」です。

子どもたちには、それまで大槌の町の景色を見たり、震災当時のことを解説してもらったりする機会が何度もありました。すべてが流された土地に建てられた東日本大震災津波伝承館では、当時の映像や被災した車、道路標識などを見ました。伝承館の近くに残された震災遺構となった陸前高田ユースホステルには、「ここに津波が本当にきたんだ」ということを子どもたちに否応なしに突きつけます。

津波伝承館で写真を撮る子どもの画像

ある男の子が、伝承館からバスに向かうときにぽつりぽつりと漏らした感想が、印象的でした。「全部なくなっちゃったんだなって。リセットされちゃったんだなって、思いました。でも、海や景色はきれいだなって。怖くて、きれいで、リセットされた、みたいなことを思いました」。

震災伝承館の近くでひらけた海を見る子どもたちの画像

そんな景色や町を見てきた子どもたちが挑む「決断のワークショップ」で用意された問いは2つです。

6.5メートルの防潮堤と14.5メートルの防潮堤、あなたが大槌の町役場の人ならどちらを選びますか

震災遺構、あなたなら残しますか

どちら側にも「正しさ」がある

このワークショップをファシリテートしてくれたのは、おらが大槌夢広場の神谷未生さん。この問いを発表したあと、神谷さんが真剣に付け加えた言葉に子どもたちはぐっと息をのんだように見えました。「これは、実際に、この町で、皆が真剣に考え、悩み、向き合った問いなんです」。

神谷さんは、当時の話し合いのことを思い出しながら、それぞれの主張を説明してくれました。6.5メートルの防潮堤を支持する人は、景観や海と共に生きてきた町の人、海とともに生きてきた漁業を営む人たちの生活圏を大切にしていたといいます。一方、14.5メートルの防潮堤を支持した人には、「もう誰一人として、津波で命を落としてほしくない」という切実な気持ちがありました。

震災遺構については、後世に残すことで、東日本大震災を忘れてほしくないという人の気持ち。一方、そこで失われた命に近かった人にとっては、亡くなった人のことを思い出す悲しい象徴。どちらの気持ちも理解できます。だからこそ、難しい。

グループワークが始まると、それぞれのグループから、様々な声が聞こえてきました。後ろの方で話し合っていたグループでは、「景観より、命でしょ」という同級生を遮るように、「それはそうだけど、ここに住む意味ってなによ!大槌にいる意味ってなによ!」と、ひときわ大きな声を上げた子どもがいました。堀江嵐守くんは、大槌という町に住む「意味」を、「海があること」に見いだし、6.5メートルの防潮堤を主張します。

子どもたちがグループワークをする様子の画像

ほかの子どもたちの中からも、「町に住む」ことの幸せについての意見が出ていました。「囲まれて、箱の中にいるように感じるとき、そこに住む幸せってなんだろう?」「14メートルの防潮堤を作ったら、そこから出て行く人もいるよね。そんな町に住む意味がなくなる気がする...」。

町に対して「愛着を持つ」とは

子どもたちの言葉をきいて、東日本大震災直後に現地に何度も入っていたわたしも、思わず考え込んでしまいました。当時は、津波で一面瓦礫に覆われた町を見ることに心が痛みました。一方、今回は、別の辛さを感じたのです。

見上げるような高さの防潮堤。海の近くに同じように建てられたいくつもの公設住宅。お店も、家も、全部”新しい”ことの不自然さ。海を見て、海に生かされてきたこの町に今もなお住み続ける人たち、去った人たち。それぞれの選択はどんなに苦渋に満ちていただろう。

大槌町にできた高く、どこまでも続く防潮堤の画像

そもそも「町」とか、「この町が好きだ」というとき、その対象となる「町」を「町」たらしめるのは何か。住んでいる人か、懐かしい町の景色や雰囲気か。そしてそれがなくなったとき、「好きだ」といえる対象は何になるのか。“新しい大槌”を見て、軽々しく「復興してよかった」とは、まるで思えませんでした。図らずも、子どもたちのことを見つめながら、わたし自身も「幸せ」や「生きること」について突きつけられた形となりました。

「正しいとか、正しくないとかじゃないんじゃない?」

議論の進め方を見ていて、思わずこちらが「確かに...」と思わされる場面が何度もありました。例えば、あるグループの議論の進行役になっている男の子の発言。「三石が言うことも納得できる。中林が言うことも正しいよね」。お互いの意見を丁寧に聞き取っています。その上で、その言葉にほかの子どもが食いつきます。「いや、正しいとか正しくないとかじゃないんじゃない?」。

子どもたちは、お互いの言い分に「正しさ」があることを分かっています。だからこそ、「正しさ」だけでは決められない難しさに苦しむーー。相手の意見に耳を傾けるだけでなく、丁寧に言葉を紡ぎながら、議論を進める姿が印象的でした。

複数のグループから「技術」や「テクノロジー」という言葉が聞こえてきたことも印象的でした。「技術の発達で、震災が来ることをもっと早く予測することができれば、避難もその分だけ早くなり、防潮堤も低くできるんじゃないか」。「普段は6.5メートルで、それ以上に津波が大きくなるとわかれば、さらに高い防潮堤がスライド式で出てくるようなアイデアはどうか」。「VRで遺構を残すのもありじゃない?」。

この話をする頃には、もう子どもたちは、東京で「歴史」を学ぶ6年生ではありませんでした。震災で様々なものを失った町を見て、そこで大切な人を亡くした人の話を聞いて、人ごとではなくなった「当事者」に近い子どもたちへと変化を遂げていたのです。

三石くんは言います。「正直、行く前は、結構ヘラヘラっていうか、修学旅行や行き先への予習を皆でしていても、そんな雰囲気があったんです...。今はもう笑えないです」。吉里吉里国の理事長が、目の前でこらえきれず涙を流したことが記憶に残ったといいます。「途中で泣いてて...。津波の映像見ながら、かわいそうだなって思ったことはあったけど、実際に目の前で泣いている人がいて、そんなに辛かったんだなって...」。家族全員いなくなる、家もなくなる。そんな経験をした人が目の前で泣いている。「生きているだけで幸せなんだなって思いました」。

子どもたちの感想は、十人十色

東京に戻ってきてから、改めて6年生に会いに行きました。思い思いの私服を着ていた彼らが、おそろいの体操着を着ているのも新鮮です。「そめちゃん!」と寄ってきてくれた彼らに、修学旅行のことを思い出してもらい、その感想を聞いてみました。

鹿の心臓が気になっていた河村さん。
「心臓、意外と小さかったです。それよりも、胃がすごく大きくて、食べたものがいっぱい入ってて...。子宮もすごく大きくて、そこには赤ちゃんもいて。帰ってきて、スーパーで買ってきたお肉を食べるとき、『最初はみんな生きてたんだな』って感じるようになりました」。

座禅を組みながら幸せについて考えたいといった加藤さん。
「碇川豊前町長の話が印象的でした。津波で辛かったときのお話かなって思ってたんですけど、大槌が大好きだっていう話だったんです。自分が好きな町はこんなイメージ、とか、自分の町をこうしていきたい、とか。自然と、自分が住んでいる町について考えたくなったし、大切にしたいと思いました」。
「帰ってきて、東京の空き地を見ると、何に使えるかなーって思うようになりました。何の変哲もないビルばかり建つと知ると、いやな気持ちになる」。
「行って、見て、体験して、帰ってきて考える、という感じかなと思っていました。でも、今振り返ってみると、ホテルの部屋で雑談しているときとか、ふとしたときに、なんだか考えちゃってました。『あの人が言っていたことって、あのことと繋がるかなー』とか。あと、部屋でゲームしながらみんなでその日あったことを話したり。チームがバラバラだったので、どんなことやったか、とか」

大槌に住む意味ってなによ!と言っていた堀江くん
「いただきますの気持ちが変わった。帰ってきて、ご飯を食べるとき、いただきます、は、ありがとうございます、を伝える感じになった。命もらってるんで」

帰ってきたあと、本村凜先生が一番驚いたのは「子どもたちの感想が予定調和じゃなかったこと」でした。

子どもたちが感想を書いたメモの画像

「1人ひとり本当に違ったんです。こうした体験授業や何かを見たあとの感想は、おおよそなぜか予定調和のようになってしまうんです。『悲しかったです』とか。経験する過程や目的、対象が違うだけで、解釈の余地や学びの広さがここまであるんだ、と感動しました」。

「うたれる直前の鹿は何を見て何を考えていたのか」と書いた子どものメモの画像
「うたれる直前の鹿は何を見て、何を考えていたのか」。詩のようなセリフを残した子どももいました。

ちなみに、わたしは大槌の体育館でのひとときが忘れられません。車座になって、子どもたちと一緒に食べたお弁当があまりにおいしくて、思わず「おなかいっぱいで幸せだなあ!」と声を出してしまいました。そしたら、隣に座っていた女の子がぼそっと言ったのです。「こんなところにも幸せってあるんだね」。「あるある!これも幸せだよ!」と思わずわたしも、隣にいた本村先生も笑顔になってしまったのでした。みんな、心のどこかでずっと「幸せ」を考え続けているんだなあ、と。

61人全員がこの体験を通して、何かが一気に変わったり、将来の方向を決めたりということはないかもしれません。一方、この中の何人かは、ずっとこの記憶を持ち続け、何かの「きっかけ」をつかむかもしれません。それは、まだ、誰にも分かりません。幸せの形は様々で、これからも子どもたちの中で、少しずつ育まれ、そのたびに新しい発見があり、変わり続けていくものだと思うのです。

あなたにとっての、幸せは、なんですか?

取材執筆:染原睦美