学校に大きな「ビジョン」ができた日
こんにちは、新渡戸文化小学校note編集部の染原です。
今回は、2021年から新渡戸文化小学校で掲げる「12の学習者像」の紹介です。「12の学習者像」は、現在新渡戸文化小学校が掲げる「こんな風に学べる人になってほしい」という想いが詰まったもの。今回は、これを決めるに至った背景や経緯をご紹介します。
新渡戸文化小学校には最上位目標として「しあわせをつくるひとになる」というものがあります。この概念ができたのは、2019年。ちょうど、平岩国泰さんが理事長となり、様々な挑戦を始めた時期でした。
新しいスローガンや方針が打ち出されることに触発されるように、少しずつ「新渡戸の未来」を考える機運が高まってきたといいます。「しあわせをつくる人になる」ために、学校は何ができるのか、学校はどうあるべきなのか、子どもや先生はどんな人であるべきか——。そんな問いを発端に、2020年6月、コロナ禍で始まった初めての年度をなんとか開始した直後、先生たちが小さなプロジェクトを開始しました。
「自律型学習者」ってどんなひと?
最初に声をあげたのは、遠藤崇之校長補佐、沼尻淳先生、栢之間倫太郎先生、山手俊明先生。少しずつほかの先生たちも巻き込みながら、「新渡戸の未来」を考えるような大きな学校全体のプロジェクトになっていきました。
当初の課題感は、「コロナ禍で、子どもたちとともに理想の授業を創り上げられているのだろうか」ということ。コロナ禍のオンライン授業では、それまで以上に子どもたちには自律して学びを深めてもらう必要がありました。
折しも、子どもたちが「自律型学習者」になることを目指そうと掲げ始めた時期。現実が、それを求めてきたときに「実際に、子どもたちに自律してもらうような授業ができているのか」と頭をもたげたと言います。さらに、「自律している姿ってなんだ」という問いにまで発展。そこから先生たちの話し合いの旅が始まりました。開始当初は、「ミッション・ビジョン」といった形で何かをまとめるのか、どんなゴールになるのか、決めもせず、想像もできず、まず走り出したといいます。
しあわせをつくる人になるには、自律型学習者になる必要があるけど、自律型学習者になればしあわせを作る人になれるのかというとそうではない。では、しあわせを作る人になるには、どんなことを心がければいいのだろうか——。話し合いは、「自律型学習者」を定義するのみならず、それ以外の必要条件を探っていくことにまで発展していきました。
「これって意味あるんですか?」
2020年の夏休みには、丸2日かけて会議を実施。学校目標や、学習のやり方などをピックアップしつつも、ゴールは決めずに実施した感じだったと言います。先生たちの参加は任意。「新渡戸グランドデザイン会議」と称し、集まった先生だけで実施しました。「終わった後は脳がくたくたになったのをいまでも覚えています。終わった頃に、教室に差し込む刺すような西日を、今でも覚えています」(沼尻先生)。
「議題すらみんなで決めよう」といった何もないところからのスタートは、ハードルも高かったといいます。
「今では、民間企業では一般的かもしれないのですが、学校のビジョンを作るようなことや、『ファシリテーション』という言葉さえ、学校ではなじみの薄いものです。そんなところから始めたので、最初はこのプロジェクトをやることの意味づけといったところから歩調を合わせる必要がありました」(沼尻先生)
「決め方を決める」ようなことを皆で話し合った際には「これって意味あるんですか?学びへのソリューションを決めるための会議なのに、全員で決め方を決めるって時間の無駄じゃないですか?」そんな言葉も出てきたと言います。
それでも「そうした言葉が出てくるのは、真剣な証」(沼尻先生)と捉え、一歩ずつ前に進みます。「答えがでない議論でも、それを味わっていくことも目的なんです、と根気強く伝えていきました」(遠藤先生)。
話し合いはいつでもオープンに
答えのない問いを立てながら、皆の「合意形成」を図っていく作業には胆力が必要だったと話します。
「世代も経験も異なるバックボーンを持った先生皆が、それぞれが思い描く姿がありました。でも、子どもを一番に考えるので、大きくずれることはなくて、すれ違ったとしても誤差レベル。話し合いを進める中で、『おー!それねー!』という共感が芽生えたときは嬉しかったです。さまざまな視点から、一つのものを見つめたからこそ、いろんなものが見えてきた実感がありました。例えるなら、リンゴの絵を描くような作業だった気がします。横から見る人、上から見ている人、下から見る人。リンゴそのものだけじゃなく、影を見る人。それぞれの視点が集まって、初めて1つのリンゴの絵ができる。でも、『リンゴの絵を描こう』という大前提はそろっていたので、みかんやパイナップルのことを言う人はおらず、皆で前提共有しながら進めました」(沼尻先生)
早く行くなら一人で、遠くに行くならみんなで
一番気をつけたのは、「自分事」として一人でも多くの先生に関わってもらうことでした。参加をマストにすると意欲のない人が輪を乱すこともある。一方、任意にすると、参加しなかった人が「聞いていない!」となる。
「最終的には、割り切りも必要でした。『聞いていない、というなら、出てきてください。いつでも参加を待っているし、会は常にオープンです』と言い、巻き込んでいくようにしました」(遠藤先生)
沼尻先生は、皆の歩調が合わないときに、いつも思い出していた杉本校長の言葉があったと言います。「早く行きたいなら、一人で行け。遠くまで行きたいなら、みんなで行け」。この言葉は、多くの先生たちも認識しており、「この言葉があったから踏ん張れたこともあった気がします」(沼尻先生)。
計50回の会議と2年を経てできた「12の学習者像」
議論は、徐々に「学習者像」を考える形に収斂していったといいます。「しあわせを作る人になるには、いくつかの要素があるんじゃない?という流れになり、それって、どんな姿?ということを考えるようになっていきました」(沼尻先生)。
既存の学校で大切にしていることや、非認知能力や新しい時代を生きる上で必要とされている能力について書かれている資料を参考にしなんがら、新渡戸の目指す学習者像を考えていくことになりました。参考にしたのは、国際バカロレアプログラムの学習者像やイエナプラン、国際団体ATC21sが定める「21世紀型スキル」、学習指導要領など多岐にわたりました。
ようやくまとまり始めたのが2020年の冬。それぞれの項目が重ならないように、これ以上足せないし引けないというキーワードを『〜な人』という形でまとめ始めました。結果、小さな会議を入れると計50回以上、小学校の先生全体で集まった会議は10回近く、年月にして約2年を経て「12の学習者像」として日の目をみることになりました。
嬉しい誤算もありました。「先生や職員で話し合う過程で、教育観や子ども観の違いを発見することも少なくなく、結果として、このプロジェクトを通じて、教員間の考えや心の距離感のようなものを埋めていくことにもなったと思います」(沼尻先生)。
苦労して創り上げたことで、先生それぞれにも「推し」があるといいます。沼尻先生は「どれも自分の子どものようにかわいいのですが、敢えて選ぶとしたら、僕は『好きを大事にする人』」。遠藤先生は「支える人」だといいます。
決まったあとも、旅は続きます。「12の学習者像」を、どのようにして、先生、子ども、保護者に文化として根付かせるかが、課題となるためです。12の学習者像を「使う」ための仕組みやマテリアルも入念に設計したといいます。年間指導計画にどう組み込んでいくか、12の学習者像を表すマグネットを用意したらどうか、保護者への説明はどうするか、先生たちの振り返りはどのように実行するか——。
「保護者の方には、時間をかけて説明しました。2019年以降、『変わること』が多かった小学校なので、『また何か変わるのか...』と考え、拒否反応を示す方もいるのではないかと考えたからです」(遠藤校長補佐)。
同時に、子どもたちにも少しずつ話を始めていったといいます。「このプロジェクトはこれ(学習者像の1つ)を狙っている授業だね」「スポーツデーは、何を大事にしていくのがいいかな」といったように、少しずつ意識付けを始めたといいます。
毎月12日は「12の学習者像の日」として、先生たち同士が意識するような取り組みも用意しました。
実際に12の学習者像を発表してから、親御さんからは嬉しい反響もあると言います。新渡戸文化小学校では、新渡戸祭というイベントやスタディフェスタといったプロジェクト発表を実施する機会があります。昨年の新渡戸祭で、お店屋さんを実施した2年生の親御さんからのお手紙です(一部表現を修正しています)。
今後は通知表を従来のものから変えていく予定もあるようです。私自身も、子どもの通知表をもらったときに、「算数」の欄にある「楽しんで計算できたか」→「B」よりも、「踏み出す人になれたか」→A→(なぜなら)苦手な発表を上手にできた!の方が保護者としても分かりやすいし、子どもと一緒に取り組みやすいなと感じます。
新渡戸の12の学習者像は、まだまだ途上にあります。このあとどんな風に進化を遂げるのか楽しみです。そしてこれは子どものみならず、大人でも十分に楽しめる「人としてのあり方」の指標にもなると思っています。
皆さんは、どんな人でありたいですか?そして、今日、それに取り組んだことがあるとしたら、それは何でしたか?
取材・執筆:染原睦美