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「メダカで学ばなくたっていい」子どもを縛らず共に学ぶ

こんにちは、新渡戸文化小学校note編集部の染原です。一人ひとりの先生たちのことを深く知っていただく「先生に聞きたい10のこと。」。今回は、沼尻淳先生です。

公立小学校で20年近く勤務したのちに、新渡戸文化小学校に着任。2024年1月には、ソニー子ども科学教育プログラムの「2023年度教育実践論文」で、新渡戸での授業を論文にまとめ、優秀賞を受賞しています。そんな沼尻先生が、新渡戸で取り組んでいること、その土台にある思想はどのようなものなのでしょうか。

4年生とのスキー教室での一コマ。最近ハマっていることは「謎解き」だそう。100円ショップで謎解き本を買って、地道に取り組んでいるとのこと。

1.現在の担任、担当を教えてください

2023年度は、5年生の学年主任、4年生と5年生の理科を担当していました。担任を持ちながら主任というのは過去に何度かありましたが、主任だけ、というのは今回が初めてです。プレイングマネージャーではなく、完全にマネージャーという役割でした。それぞれの担任の先生の学級経営方針やクラスのカラーを見ながら、一歩引いた目線で学年全体を見守る役割で、とても勉強になりました。

2.経歴を教えてください

東京都の公立小学校で18年勤め、その後2020年に新渡戸文化小学校に着任しました。

3.教育、学びについての考え方を教えてください。学びの場においてどんなことを大切にされていますか。

学校が、楽しい場所であり、幸せになれる場所であるような教育を目指しています。小学校を卒業して、大人になっても大事になるだろう力を身につけてもらいたい。いわゆる、非認知能力と呼ばれるようなものをしっかりと育ててほしいですし、それを伸ばせる学びの環境を作っていきたいと思っています。

4.新渡戸文化賞学校にきた理由を教えてください。

公立小学校に勤めていた際、やりきれない気持ちを抱えることが少なくありませんでした。何かをやりたい、と言っても、「特定のクラスだけでやるのはどうか」とか「教育委員会の許可が必要ではないか」といったことが最初に出てきてしまう。

例えば、教科書通りの授業をするかどうか。教科書通りに授業を進めれば、学習指導要領に即した授業ができるわけですが、教科書に載っていないことでも、十分に学習指導要領を満たす授業はできるはず。そうしたことにチャレンジすることがなかなか難しかったと思います。

理科でもあり、図工でもある。

もっと学校の学びを楽しくしたかっただけでした。それはもちろん子どものためであり、教える側の僕たちのためでもあります。ルールはもちろん大事ですが、規則や慣習を守ることが目的になるのでは、本末転倒です。思考停止するのではなく、ルールが存在する意義や経緯をよく理解した上で、必要とあらば変えていく勇気も必要だと思います。自分たちでさえ説明できないルールで、子どもたちを縛り付けるのをやめたかったのです。

そんなことを考えていたとき、2019年の夏に、アフタースクールの説明会で、平岩(国秦)理事に出会いました。平岩さんが目指す新渡戸のビジョンを聞いて、「なんて面白そうな学校なんだろう」と。ここでなら、もう子どもたちを縛り付けることをしなくてよいのではないかと思ったのを覚えています。

5.新渡戸では「やりたい」と思ったことができていますか

まだまだ途上ですが、大いに挑戦させてもらっています。「Happiness Creator」や自律型学習者という新渡戸の教育目標に向かっているものであれば、やりたい授業をやらせてもらえていますし、授業をデザインしている目的を、皆が理解してくれていると感じます。

僕の理科の授業でいえば、教科書に従うと、4年生で魚の雌雄を学ぶ際には、メダカを使って学びます。おそらく、このnoteを読んでいる大人のみなさんも、メダカの体や卵の様子について覚えていると思います。学校現場ではほとんどの学校で、これまで何十年とみんなメダカで学んできたはずです。

一方、実は学習指導要領(解説編ではありません)では、魚の雌雄は「メダカで学びなさい」といったことは規定していないのです。あくまで「魚の雌雄を学ぶこと」となっています。

例えば、公立で、「メダカ以外で学ぶ」と話すと、「それ本当に大丈夫?」とか「すべてのクラスでできるの?」といったことから始まる。でも、新渡戸ではそれが起きない。「まず、やってみましょう」という雰囲気があるのが、すごくやりがいを感じます。

6.印象的な授業や注力している取り組みはどのようなものでしょうか。

理科の授業は、違うフェーズに入ったと思います。与えられ、決められたゴールのある学習ではなく、アウトプットを重視し、学びを積み重ねるスタイルにどんどん変えています。

今回チャレンジしたのは、「好きな魚で、雌雄を学ぶこと」でした。「メダカ以外で学ぶ」を実際にやってみたのです。色々な魚を調べた方が世界も広がるし、面白いですよね。

実際やってみて、僕も驚いたことがたくさんありました。僕自身はメダカで学んできましたし、20年近くメダカで教えてきたわけですから、発見だらけなのは当然と言えるかもしれません。

子どもたちは、好きな魚を選んで、その生態を調べるのですが、ものすごく楽しそうでした。「僕が調べている魚は、卵を産まないよ!」とか「私の魚は、小さな魚を食べるんだよ!!」といったように、お互いがお互いの魚で学んでいきました。さらに、雌雄についても、メダカは背びれの形で分かるのですが、お腹をひらかないと雄雌が分からない魚もいるわけです。むしろ、外見から雌雄が分かる魚の方が少ないという事実に、僕自身も驚いた。

好きな魚で雌雄を学んだ方が楽しいですよね。

学習指導要領は、豊かにできています。それを具現化した1つの方法が「教科書」というだけです。教科書に従えば、学習指導要領を簡単に満たせます。でも、子どもの探究心や楽しさは満たせるのか。僕らが考えるべきは、そこなのではないかと思っています。もっと様々な方法や学び方を教師が開発していいと思っていますし、そうしたことにチャレンジしていきたいと考えています。

7.新渡戸での子どもとの関わりで印象的だった出来事を教えてください。

例えば、挨拶。「おはよう」と言っても、返ってこないことがあります。公立にいた頃の僕なら「挨拶をしようね」と話したはず。でも、新渡戸では挨拶をしなかったとき、「何かあったのかな?」とか「僕のことを“他人”と思っているのかな?」と子ども側の気持ちにも寄り添う姿勢が多くの先生にあります。まずは、子どもを信じる。挨拶は大事だと思っているし、普段は挨拶をする子どもたちであることを信じた上で、「しない」ことの理由を考える余白を持っている先生が多い気がします。

もちろん、いつでも誰にでも気持ちよく挨拶できたらいいし、そうあるべきかもしれない。一方、すべての人に、すべてのタイミングで、挨拶ができるなんて、「作られすぎている」し、「やらされすぎている」とも言えるかもしれない。ロボットのようだとも言えるかもしれません。どちらにも正しさはあるわけですよね。

ほかにもこんなことがありました。休み時間に、廊下を掃除している子どもがいたので、「どうして掃除しているの?」と聞いたのです。そうしたら、「汚れていたから」という、至極真っ当な答えが返ってきました。そもそもなぜ自分がそんなことを聞いたのかといえば、それは、掃除の時間に掃除をするということが決められているのに、なぜいま掃除をするのだろう、と思ったからだと、気付きました。

「汚れていたから掃除をする」。当たり前のことですが、「掃除は掃除の時間にするもの」と思っていたら、不思議に見えてしまうわけですね。

8.それらの出来事が印象的だったのはなぜでしょうか

日々の子どもの様子や営みから、1つひとつ僕自身が考えさせられるからだと思います。

公立で20年も務めていると、ある程度「当たり前」ができあがってきます。一方、それが新渡戸では「当たり前ではない」ことがある。「ある」ことが当然だと思っていたことが「ない」。そういったことが目の前に立ち現れることで、物事の善し悪しや「そもそも」を考える機会が増えた気がします。

例えば、掃除の例で言うと、僕自身の考えがそうであったように、掃除をする時間を決めることは、自分で考えて掃除をする機会を奪うことにもなりかねないのではないか、ということを考えさせられました。

時間や役割で、何かを区切るということは、何かに手を出しちゃいけない状況を作るのかもしれない。境目をつくるわけですから。理科の時間に国語はやっちゃいけません、といったこともそうかもしれません。でも、果たしてそうなのでしょうか。時間や役割を区切ることは、大人にも子どもにも規律や責任感を生みますが、ほかの人が手を出せなくなったり、それ以外の時間でそのことをしなくていいことになったりもする。

こうしたことを子どもの行動一つひとつから考えさせてもらえている、という意味で、ちょっとした日常が印象的な出来事に変わっている気がします。

9.新渡戸での、先生との関わりや、学校運営について、印象的だった出来事はありますか

これも特別なことではなくて、新渡戸の「日常」なのですが、新渡戸の先生たちは、子どもたちだけではなくて、先生同士で相手の良いところを認めて、口に出してくれます。大人になってから、直接的に褒められたり、いいところを見つけて伝えてもらったりすることは少ないように思います。一方、新渡戸では相手をよく褒める。

「沼尻先生は、子どもの嫌われ役になってでも、言うときはしっかり伝えるのがいいですよね」とか「伝え方が分かりやすいですよね」とか。不思議なのは、僕自身が良いと気付いていないポイントが多いのです。

例えば、「言うときはしっかり言う」というのは、本村(凜)先生に言われたのですが、僕は彼女が、子ども一人ひとりを見て、おおらかに受け止めているところが好きなんですよね。でも、彼女は僕に対して「しっかり言うところがいい」と。

「伝え方が分かりやすい」と言ってくれたのは、松井(春菜)先生です。でも、僕は彼女の、たとえうまく言えなくても、絞り出すように、一生懸命伝えようとする姿が好きです。

きっと、お互い自分が持っていないことやいわゆる多様性を認めて、素晴らしいと思えて、言い合える環境なんだな、と思うのです。僕も、できるだけそういう風になりたいと思い、そういうことが伝えられる人になりたいと思っています。

10.新渡戸について、もっとこうしたい、現状課題に感じていることがあれば教えてください

学期ごとに配布する通知表を変えたいです。学業の進行度合いは、テストなどである程度親御さんも子どもも理解しているので、学習の進行度合いを通知表で把握するという意味合いは薄い。三者面談も年に2回ほどやっているので、学習面以外のフィードバックも都度できていると思います。その上で、年に3回、それなりの時間をかけて先生たちが負荷をかけて書き綴る「通知表」の意義や形は考えていく必要があると思っています。

12の学習者像を使って、目標を決め、それにどれくらい近づけたか、努力できたかといった振り返りをするなど、各学年で様々な取り組みを開始してはいます。ただ、もっと抜本的に子どもにとっても先生にとっても有益なものにできると思っています。

執筆編集:染原睦美
写真:沼尻淳氏提供(廊下の子どもたちの後ろ姿写真:鮫島亜希子)


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