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探究を「イベント」にしてしまっていた私たちの反省

 新渡戸文化小学校では、2021年4月から本格的に「プロジェクト科」と名付けたPBL(Project Based Learning)を開始しています。2020年以降の学習指導要領にも盛り込まれた「総合的な学習の時間」。これを新渡戸なりにリデザインしたのが「プロジェクト科」です。

「探究」という言葉が広がりつつある今、様々な学校が「総合的な学習」の中核に探究学習を位置付け、試行錯誤を重ねています。「教科書ベースドラーニング」ともいえるような学習に取り組んできた学校にとって、探究学習は簡単なものではありません。先生たち自身がそのような教育を受けたことがないこともあり、難易度が高いことは想像に難くありません。一方で、渋谷区の公立小学校では午後の時間をすべて探究学習にあてるなど積極的な取り組みもまた出てきています。

新渡戸ではこの3年間、探究学習にどのように取り組んできたのでしょうか。プロジェクト科の軌跡を追いました。

全力で取り組んできたけれど。

 「3年間全力で取り組んでみたのですが、こちらが想定したような変化があまり生まれませんでした」。そう話すのは学校全体のプロジェクト科チーフを務める栢之間倫太郎先生です。どういうことでしょうか。

2021年以降様々な「プロジェクト」に取り組んできた新渡戸。2023年のスポーツデイ(新渡戸では運動会のことをそう呼びます)は、3年生が自分たちで行事をつくり、2022年の5年生は「100年後にはどんな未来が待っている?」というテーマでN高等学校の高校生との取り組みを実施しました。

2022年の6年生は、「ヒューマンライブラリー」と題した多様性を知る取り組みを4ヵ月かけて実行。2023年の6年生は昨年に引き続き、スタディツアーの場所を東北とし、地震のメカニズムを学び、生きることに向き合い、現地の人の「言葉」を持ち帰りました。様々な個人や企業とも関わり、教科を横断したダイナミックな学びをいくつもつくりあげてきました。

昨年3年生の担任だった山手俊明先生は、意欲的にプロジェクト科に取り組んでいた先生の一人。例えば、子どもたちだけでつくったスポーツデーや宿泊行事。万博と題して、子どもたちの興味関心事を発表したスタディフェスタ。どれも子どもが自分たちでつくりあげたプロジェクトです。

「プロジェクト」に取り組んでしまっていた

「知識や考えの深掘りという側面からいうと、まだまだの部分も多いです。一方まずは、自分の学びや活動が楽しい、自分なりに学んでいっていいんだ、という『感覚』を持てることが一番大事だと思っています。その絶対的安心感が、今後の学びへの姿勢に繋がると信じているからです。問いを立て、まとめて、発表する、という一連の学びのサイクル。たとえ問いが間違っていても、グーグル検索のみでまとめていても、この一連の学びのサイクルは苦じゃない、と感じること。自分で調べたことを誰かに伝えたい!伝えたら誰かが認めてくれた!質問してくれた!そしたらもっと楽しかった!という感覚。ここが一番大事なことだと思っているんです」(山手先生)。

親や下の学年に自分たちの「学び」を発表した「にとべばんぱく」。

こうした「プロジェクト科」を通じた学びは、たしかに子どもたち自身の成長に寄与していたといいます。「プロジェクト科が一番好き。一番自由な学びだよね」と話す子どもたちが増えてきたことも大きな収穫でした。

「どのプロジェクトにももちろん学びはありましたし、既存の教科学習では得られない経験や成長がたくさんありました。子どもの自主性は振り切れるところまで振り切って発揮してもらったつもりです。でも、なんだか教員が空回りしているような雰囲気があったのです」(栢之間先生)。

先生たちと一緒にその理由を考えていくと、ある一つの「答え」に近づいたと言います。子どもは「プロジェクト」に取り組んでいるのであって、プロジェクトを「ベースに」学んでいるわけではない——。

「『DOING』しているだけなんじゃないかと気付いたのです。子どもは、週に2-3時間の特別なプロジェクトを『やっている』という感じなのではないか、と。子どもにとってはこれは、特別授業。料理のフルコースでいうと、私たちはお楽しみのデザートで一生懸命頑張っていた。でも、本来はメインの料理こそ最も力をいれるべきなんじゃないかと改めて思い至りました」(栢之間先生)。

やるべきは「プロジェクト科」ではなく「プロジェクト化」

子どもにとってのメイン。それは、教科学習です。教科学習でプロジェクトの文化を浸透させること、その文化が学校全体で統一され、通常授業をプロジェクト化させてこそ、初めてPBLが現実のものとなるのではないか——。「プロジェクト科」ではなく、「プロジェクト化」。「一番大事なのは、プロジェクトの文化があらゆる教科学習に浸透していることだと改めて気付いたんです。そうしなければ結果、プロジェクト科で全力でアクセルを踏みつつ、他の教科でブレーキをかけているような状況になってしまう」(栢之間先生)。

その気づきを経て、2023年は、より教科の学びを「プロジェクト化」させることに取り組みました。教科学習をプロジェクトにしていく中で、まず大切にしたのは、「つくること」と「みせること」でした。例えば、6年生の社会科で実際に手がけた日本国憲法と三権分立を学ぶプロジェクト。学ぶために制作したのは「檻」の立体作品でした。

憲法を調査して檻で表現し、その中にキャラクター化した三権をいれる。このプロジェクトを通して、教科書以上の知識や主権者意識を夢中で学ぶことができました。

「三権」をいれる檻をつくった6年生の社会の授業

5年生の理科の授業では、「自分の好きな魚で雌雄を学ぶ」ことにも取り組みました。教科書では「メダカ」で魚の雌雄を学ぶことが推奨されていますが、好きな魚を選び、その魚の雌雄を調べ、発表する。教科書に書いてあることで理解するより、何倍もアクティブに学べたといいます。

視察で気づいた「見える」ことの重要性

「つくる」「みせる」を主軸においたのは、2023年3月に視察に訪れたある学校がきっかけだったといいます。先進的なPBL教育で有名な米国カリフォルニア州サンディエゴの公立校「High Tech High」。「つくるもののすべてが、見られることを前提に作られていました。その作品をみながら、大人が子どもに『これであなたは何を学んだの』と聞くことが日常茶飯事。例えば、高校生が数学などの授業でつくったという大きな橋。すべての学年や親がこれを見るわけです。『見える』って大事なんだな、と。他者とのコミュニケーションに繋がる重要なファクターにもなるわけです」。

米国の公立校「High Tech High」で見た景色

当然、教科学習にこうした取り組みを入れ込むには、通常よりも多くの準備が必要です。「でも、全先生が全教科で入れ込んでこそ、プロジェクトで学ぶという文化が生まれると思うのです」(栢之間先生)。

2023年の夏休みには、先生たち同士でワークショップを開催。教科学習にプロジェクトを入れ込む際にヒントになりそうなアイデアを集めたといいます。「ウォーミングアップワークで出したお題は『子どもたちが間違いなく夢中になる50の突飛なアウトプット』でした。例えば、漫画を作る、映画を作る、祭、プロジェクションマッピング、町の壁に絵を描く。100個くらい付箋で出ました。授業という枠を取っ払えば、先生たちは子どもたちが『絶対楽しいと思ってくれるアイデア』をこれほど知っているんです。あとは、これを実行するには、どうしたらいいか、の地図だけが必要なわけですよね」(栢之間先生)。

先生たちが取り組み始めたプロジェクトのチューニングも実施したといいます。1人の先生が、「こういうことをやっているけど、こうした課題がある」といった話をしたあと、ディスカッションをする。ポイントは、その後のディスカッションには、「課題がある」と話した先生は一切参加しないということ。第三者としてそのディスカッションを聞く役に回ります。自分の取り組むプロジェクトについて議論する仲間の姿を外から見ることで、自分のプロジェクトについて客観視できる。これを何度も行いました。

2023年度が終わる際には、それぞれが取り組んだプロジェクトについてラップアップを実施。探究学習そのものについての振り返りはもちろん、探究学習を進める上での基礎となる、「自律のための規律」、そのための先生たちの思考回路を創り上げました。

2024年度は、こうした取り組みを経て、新たな探究学習に取り組んでいると言います。

「プロジェクト科が難しかった理由は、各学年で得意な人がいて、その人に頼りすぎていた側面が大きかった。まだまだ私たちの探究は始まったばかりで、本質的ではない部分も多くあります。でもまずは全員で、自分の授業から『プロジェクト化』をしていくという新しいスタートラインに立ってた。子どもたちがプロジェクトを通して力強く学んでいく学校を目指して、このまま悩みながら進んでいこうと思います」(栢之間先生)。

子どもたちはいつでも「運転席」に

さらに、夢は広がります。山手先生は、こうした取り組みを、将来的には教室外にも広げていきたいと話します。「海について気になれば海に行き、猫について知りたければ近所の猫を見に行く。そんなことをやってみたいですね」(山手先生)。その過程でたくさん失敗して、失敗を通じて気付きを得て、失敗さえ『プロトタイピングだったんだよ』と言えば、それは失敗ではなくて、次に繋がる気づきになる。

「外から帰ってきた子どもたち同士は自然と『ねえ聞いて聞いて』と友達同士で話します。これは結局、プレゼンテーションなんですよね。子どもたちには、いつだって助手席ではなく、『運転席』に乗っていてほしい。運転席にいれば、自分で考えるし、必要なことは調べるし、覚える。こっち行きたいなと思えば、行ける主体性も持てます。そしてその旅で気付いたことを誰かに話したり、次に繋げたりします。長い人生の中で、ずっとそうした生き方をしていってほしい、その礎を今、築いてほしいと思っています」(山手先生)。

物事は、「始めること」より「続けること」の方が難しい気がします。続けられたとしても、見直すことは、もっと難しい。その過程で、いつしか、続けることが目的になり、何の目的でそれをやっていたかを見失うことも少なくありません。探究学習自体を探究しているようにさえ見える新渡戸の取り組みは、そんな私たちが陥りがちな日々の惰性に気づきを与えてくれそうです。

取材執筆:染原睦美